あなたの「好きな色」が決まった本当の理由 好きと嫌いは行動科学最大の謎である
第3章「好みは予想できるのか」では23.5歳付近に聴いた音楽をもっとも好む理由について「最高感度の臨界期」説や特定の学習期における「刷り込み」的効用などを紹介し、そうした「好み」の範疇を超えて新しい音楽を探しに行く方法など主に音楽的好みについて語る。
「好みって難しすぎ」
第4章「なぜこれが好きだとわかるのか」では、絵画などの芸術作品を対象にした神経科学的アプローチが試みられ、第5章「なぜ(そしてどのように)好みは変わるのか」では、好みが人の集団にもたらす力、社会的な団結を形成する力について文化人類学的な観点からの考察が加えられる。
消費は目につきやすく、同じものを好きな人同士はつながりやすい反面、人と異なるところ、差異を出したいとも望む矛盾する行動が趣味を形づくっていく。「最適弁別姓と呼ばれる理論では、人はつかず離れずの気持ちで集団とつながっている」「趣味は人とは違っていたいと強く思うときに変わり、また人と同じになろうとするときにも変わる。集団は趣味をほかの集団に『伝播』させるが、趣味そのものが集団を形成させもする」などなど。
最後、第6章「猫と土とビール」では、「普遍的によいビール、あるいはよい猫というものがありえるだろうか」という究極的な問いかけがなされ、「おわりに」に雪崩込んでいく。
最後まで読んでわかるのは「好みって難しすぎ」という最初からわかっていたことではある。本書を読んでもその難しさの一端が分かっただけで、とてもその全貌が把握できたとは言い難い。ただひたすらに、好みは強く社会的影響を受け、直前に自分がどのような状態にあったかに関係しており、今日好きなものを明日好きでいられる可能性は低く、我々がいかになんとなく目の前にあるものを好んだり嫌ったりしているかが明らかになっていくからだ。
とはいえ、好みの形成、変遷過程についてその一欠片であっても知ることは、自分自身を知ることであるのと同時に、袋小路に入りがちな好みをいかにして拡張していくかへの発想にも繋がっていく。多かれ少なかれ目の前の評価物にたいしてできる限り主観を排した客観的な評価をしなければならない場面は誰にでもあるだろうが、そういう時に自分の主観的な好みがいったいどのように形成されているのかを知っておくことは、真に客観的な評価など到底不可能だったとしても──というより”だからこそ”、大いに役に立つだろう。実りの多い一冊であった。
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