トランプの貿易戦争は欧州経済最大のリスク 共通ルールを掲げる欧州当局者との溝は深い

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気掛かりなのは、トランプ大統領が好むディール(取引)が成立する可能性を考えたとき、米国とEUの貿易戦争のリスクは、米中間の対立激化のリスク以上に高いように感じられることだ。中国も、産業政策「中国製造2025」の見直し要求には応じられないだろう。しかし、関税や金融サービス業の規制緩和などに調整の余地があり、かつ、トップダウンの中央集権的な政策決定が可能だ。

他方、EUは米国とともに構築したWTOルールを尊重する立場を崩せない。通商交渉の権限はEUにあるといっても、利害の異なる加盟各国の意見の調整が必要なため、スピードを欠く。米国の大統領選挙直前の2016年10月の交渉を最後に凍結されている「大西洋横断貿易投資パートナーシップ協定(TTIP)」の交渉の再開は、対話による解決の糸口となりうる。しかし、EU内でも反対論は根強く、トランプ大統領の好むスピードで進むことは期待できない。

自動車が標的なら、ドイツへの影響は日本以上

米国の輸入制限が鉄鋼・アルミニウムから自動車へと拡大することへの懸念が特に強いのは、製造業輸出大国・ドイツだ。ドイツのIfo経済研究所は、米国の追加関税が自動車に拡大した場合、ドイツ経済への影響は、第2位の日本を上回り世界最大になると試算する。輸入制限措置の拡大は避けられないとの見方を反映してか、向こう6カ月の景気見通しに関するZEW(ドイツ欧州経済研究センター)景況感指数も、6月調査では「悪くなる」という回答の割合がさらに増えマイナス16.1%と、ユーロ危機がようやく沈静化し始めた2012年9月以来の水準に沈んだ。

とはいえ、現時点では、経済活動への具体的な影響が広がる段階にまでは至っていないと見ていいだろう。ZEWの調査は、市場参加者を対象としていることもあって、新たな材料をいち早く織り込むが、短期間で修正されるケースもしばしばある。そもそも直近の調査では、現状判断について「よい」が回答の81.1%、見通しについては「変わらない」が回答の61.5%を占める。また、Ifo経済研究所が試算する米国の自動車追加関税の影響は、金額ベースではドイツが最大とはいえ、GDPの押し下げ効果は0.16%と基調を変えるほどではない。日本の0.1%より大きいが、メキシコの0.39%やカナダの0.23%に比べれば小さい。

しかし、トランプ政権の米国と欧州の関係冷え込みの意味を過小評価すべきではないだろう。ドラギ総裁は、6月理事会後の記者会見で、米国の貿易措置の影響として最も重要なのは、定量化が難しい信頼感への影響だと述べ、第2次世界大戦後に築き上げ、長期的な繁栄の基盤となってきた多国間の枠組みが脆弱化することへの強い懸念を表明した。

トランプ大統領の政策は、WTO、そしてG7を脆弱化させつつある。欧州の政策当局者らは、2国間のディールを好むトランプ大統領が、多国間の枠組みであり、強力な規制当局でもあるEUを「不公平」と見なし、その脆弱化をいとわないことに、警戒感を強めているのではないだろうか。

伊藤 さゆり ニッセイ基礎研究所 主席研究員

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いとう さゆり / Sayuri Ito

早稲田大学政治経済学部卒業後、日本興業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)を経て、ニッセイ基礎研究所入社、2012年7月上席研究員、2017年7月から現職。早稲田大学大学院商学研究科修士課程修了。早稲田大学大学院商学研究科非常勤講師兼務。著書に『EU分裂と世界経済危機 イギリス離脱は何をもたらすか』(NHK出版新書)、『EUは危機を超えられるか 統合と分裂の相克』(共著、NTT出版)。アジア経済を出発点に、国際金融、欧州経済を分析してきた経験を基に、世界と日本の関係について考えている。趣味はマラソン。

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