「ストリッパー物語」ラジオ劇が示した可能性 広末涼子や広瀬すずも出演、新たな表現探る

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この番組の成功により、以後、各局が番組編成に「オーディエンス・セグメンテーション」理論を取り入れ、「リアルタイムの生放送」「聴取者の投稿による番組の進行」というスタイルがラジオ番組独特の制作方針となっていった。

「ラジオが生番組中心になって久しいこともあり、ドラマの収録方法がすべて継承されていませんでした。しかし、昔のやり方を知らなかった分、新しい表現手法でドラマ作りができたのかもしれません」と、杉田社長。時代の変遷とともにすっかり「オワコン」となってしまったラジオドラマの新たな可能性を示したと言える。

ネット視聴も可能、ラジオドラマは復権できるか

「倉本(聰)さんは、昭和31(1956)年に刊行された棟田博さんの小説『サイパンから来た列車』に感銘を受け、企画の実現を試みていたそうですが、最初に作品化したのは1998年のニッポン放送のラジオドラマでした。以後、富良野演劇工場での舞台初演と再演を経て、2010年8月14日にTBSの終戦記念番組として『歸國』というテレビドラマになりました。この作品は、太平洋戦争で死んだ英霊が幽霊列車に乗って東京駅に降り立ち、現代の平和になった日本を見つめるという話ですが、舞台化や映像化より、最初はラジオドラマだったという意味は大きいと思います」

つまり、本来なら予算のかかるセットを組む必要のある作品でも、ラジオドラマなら容易に作品化できるというわけだ。もし今後、ラジオドラマが多くの局で制作されるようになれば、若手の脚本家や演出家、それから俳優らの修行の場として、機能していくのではないか。

折しもラジオは1995年の阪神・淡路大震災や2011年の東日本大震災において、被災状況や避難経路などを伝えるメディアとしての優秀さを世間にアピールした。これを受けて、長らくAM放送を行ってきたラジオ局には空いていたFM電波枠が割り当てられ、ほとんどの局がFM補完中継局(通称・ワイドFM)を設置している。AM局の放送をモノラルではなく、FMと同じステレオ放送で聞くことができるようになっている。

さらに「radiko」の登場でネットやスマホでもラジオを聞ける環境が整った。今回の「ストリッパー物語」も、radikoのタイムフリー機能で1週間(6月18日まで)聴取可能だ。ネットでの番組の拡散も含めて、新しい可能性を秘めている。

今、ラジオドラマ復活の布石が打たれたと言えないだろうか。やがてラジオから、名作ドラマが生まれる時代がやってくるのかもしれない。

(文中一部敬称略)

内藤 孝宏 フリーライター・編集者

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ないとう たかひろ / Takahiro Naito

「ボブ内藤」名義でも活動。1990年より25年間で1500を超える企業を取材。また、財界人、有名人、芸能人にも連載を通じて2000人強にインタビューしている。現在、宅ふぁいる便「私の職務経歴書」にてインタビュー記事を連載中。著書に『ニッポンを発信する外国人たち』『はじめての輪行』(ともに洋泉社)などがある。

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