「ストリッパー物語」ラジオ劇が示した可能性 広末涼子や広瀬すずも出演、新たな表現探る

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ラジオドラマは、テレビドラマや映画といった映像作品よりも、目の前の観客を相手にした舞台作品に近い表現形式なのかもしれない。そしてその成否は、いかに高いレベルで作ることができるかにかかっており、演出家や出演者の技量も問われる。

「北の国から」の脚本家・倉本聰さんに「ラジオドラマの演出家ができて一人前といわれた」と語る杉田社長 (撮影:尾形文繁)

「今回の収録に臨むにあたって、以前、倉本(聰)さんから言われた言葉を思い出しました。倉本さんはもともとニッポン放送のディレクター出身で、自身でも数多くのラジオドラマを手掛けてきた方。『ラジオドラマの演出ができなければ、一人前の演出家とは言えんぞ』と僕に言ったんです。それが74歳になって初めて実現できたというのは、何とも感慨深いものがありました」(杉田氏)

そもそもラジオドラマは、ラジオが放送メディアとして最も元気だった時代に盛んに制作された番組形式だ。

脚本家・菊田一夫の代表作と言われるラジオドラマ「君の名は」は、1952年から2年にわたってNHKラジオで放送された名作だ。愛し合う真知子と春樹がすれ違っていくストーリーの行方に世の女性たちの関心が集まり、「番組の時間になると銭湯の女湯から人が消えた」という逸話を残している。

また、現在はフジテレビの長寿アニメ番組として知られている長谷川町子原作の「サザエさん」は、1969年から放送されているが、それ以前の1955年にはニッポン放送によってラジオドラマ化され(主演・市川寿美礼)、番組は10年間も続いていた。

テレビのない時代はラジオドラマが全盛だった

だが、テレビの一般家庭への普及に加えて、1960年代から始まったテレビのカラー放送が追い打ちをかけ、ラジオは、あっさりと放送メディアの主役の座を奪われてしまう。

そんな状況の中、ニッポン放送が昭和39(1964)年4月の番組改編で提唱したのが「オーディエンス・セグメンテーション」という理論である。

折しも、持ち運びの容易なトランジスタラジオやカーラジオが普及することによって、ラジオの聴取スタイルが「家族みんなで」から「個人が1人1台」に変わっていく時代である。家事をしながらの主婦や運転しながらのドライバーといった「ながら族」層(セグメント)にターゲットを絞る戦略に移行していく。

中でも1960年代後半は最も人口が多い、「団塊の世代」が大学生生活を送っていた時期にあたり、彼ら若者たちにターゲットを絞って企画された番組が増えていく。今年で50周年を迎える「オールナイトニッポン」はその代表例で、同番組は、それまで放送メディアで流れることのなかったザ・ビートルズやレッド・ツェッペリンなどの洋楽ロックや日本のフォークソングをふんだんに流すことをコンセプトに打ち立て、若者世代の支持を勝ちとった。

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