「逆上がり」を富山の子供達が克服できた理由 「人生最初の壁」をどうやって乗り越えたか
わずか1カ月弱で「できない子」は3~4割から1割前後に。練習器に興味を示した児童たちは、楽しみながら使いこなして遊び感覚で上達していった。積極的に逆上がりを練習するようになり、「10回転したら交代」と書いた注意書きが貼られたほどである。
「できない子はまず、練習をしないものです。失敗する姿を見られるのが嫌ですし、鉄棒から落ちると痛い。『補助をしてもらうのは申し訳ない』という気持ちもあります。だから、できない子はいつまでも練習しない。ですが練習器さえ使えば、そんなネガティブな感情を解消できます」(佐伯准教授)
「逆上がり練習器」作成秘話
この大勢を救ったアイデアは、まったく別の分野からもたらされた。
ある日、図画工作の課題に取り組んでいた学生が、割りばしと針金と折り紙による、くるくる回る作品を佐伯准教授に見せた。佐伯准教授は「逆上がりの動きを、これで再現できるのではないか」とひらめき、「鉄棒に巻き付いたまま回転する」という道具を自作して、練習する方法を考えた。その後、完成した試作器からも効果を実感できた佐伯准教授は「すぐにこれを実用化したい」と考えた。
名乗りを上げたのは、「セノー」(千葉県松戸市)。跳び箱、平均台などは国内の多くの体育館・学校で使われ、体操競技で使う鉄棒や跳馬、平均台なども手掛けてきた体育施設機器・器具の老舗メーカーである。
実は、佐伯准教授とセノーの浅からぬ縁は30年前にまでさかのぼる。高校時代、佐伯准教授はスポーツ強豪校である市立船橋高校(千葉)の体操選手として活躍していた。その実力は、インターハイの種目別跳馬で優勝するほど。しかし高校生活最後のインターハイの決勝前に、練習場で鉄棒のバーが折れるトラブルによって負傷。決勝を棄権せざるをえなくなった。