大局観のない人は国家や政治を語る力がない 「職業としての政治」「人間の条件」が示す本質
政治の大きいテーマの一つとして、「私」と「公」の問題が挙げられます。市場経済とは、個人が自由に活動することが基本であり、「私」の活動ですが、その影響は当然、社会つまり「公」につながります。
特に近年では、経済がわからないと政治もわかりません。米国の大統領選でも、直近の株価次第だといわれたりしています。株価と政治の関係は「私」と「公」の関係であって、株価が政治に影響するさまは個人や企業、経済といった「私」の肥大化だと考えることも可能だと思うのです。
「公」とは何か
政治とは、つまるところ税金の分配。税金を何に分配するかといえば、公共財や公共サービスの提供に分配するのです。であるならば、政治のベースにあるのは「公」であるはずです。民主主義は西洋で生まれたものですから、西洋の民主主義の長い歴史の中で「公」と「私」がどのように扱われてきたのか、「公」とは何かということを、きっちりふまえておく必要があります。
それを学ぶには20世紀最大の哲学者の一人である、ハンナ・アレントの『人間の条件』(ハンナ・アレント/志水速雄<訳>ちくま学芸文庫/1994年)がオススメです。戦後の名著の一つです。
「公」とは何か、「私」とは何か。それが、国家や経済の発展、技術革新とともに変化し、「私」の領域だった活動がどのように「公」の領域を浸食していくか。そういったことを、実に緻密に論じています。
経済学をはじめとした社会科学に対する突き放した理解など、アレントが書いていることは全編にわたって、実に示唆に富んでいます。なかでも人間の行為を「労働」「仕事」「活動」に分けて整理しているところに新鮮な発見があります。
「労働」、すなわちレイバーは私経済であり、おカネを稼ぐための活動です。一方の「仕事」、つまりワークは作品をつくったり、モノをつくったりすることです。そして、「活動」、アクションとはモノや事柄の介入なしに人と人の間で成り立つ行為で、熟考して本質をとらえることも含まれます。活動は、古代にさかのぼれば、主として政治などの公的なものを指していました。
アレントはこの3つの存在を縦糸として、横糸にギリシャから現在に至る政治、社会状況の変化をふまえて、この3つの行為がどのように変貌してきたかを整理し、レイバーが資本主義の下でどんどん肥大化し、それに伴って公的な問題のために人間が活動する能力が次第に弱ってきた、という結論を導いています。
先に紹介したウェーバーはいわば原理原則のかたまりみたいなもの。それにアレント独特の分析を加味して、「公」というものについてじっくり考えてみましょう。
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