20年前の孫正義が「日経BP」を欲しがったワケ 上場直後のソフトバンクが目指していたこと

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ナスダック・ジャパンの設立を打ち上げた時には、「日本ではじめて証券取引所を創設した渋沢栄一を尊敬する」と発言した。渋沢は株式取引所をはじめ、銀行、株式会社制度など、日本の資本主義のインフラをことごとく作り上げ、自らも500社以上の会社設立にかかわった。しかし、その功績はなによりも、「公」と「私」の線引きを明確にしたうえで、彼自身は夢の実現のために、個人的な利益の追求は犠牲にしたことにある。

それに対し、証券会社を持ち、ベンチャーキャピタルも運営するソフトバンクが、銀行経営に乗り出し、さらには市場運営という公共性の高い事業に乗り出すことのモラルハザードに、孫は気づいてさえいない様子だった。結局、この時期のM&Aはヤフーへの出資を除いて、すべて失敗に終わる。

いまや誰も否定できない企業家としての孫正義

しかし、それから20年近い歳月が流れ、孫正義はソフトバンクを時価総額が10兆円を超える企業に育て上げた。安倍晋三総理とはホットラインで話をし、トランプ米大統領からも「マサ」とファーストネームで呼ばれる関係をつくり上げた。企業家としての孫正義が花開いたことは、誰も否定できない。

「企業家精神」というのは、歴史に対する深い理解によって生まれるわけではない。結局、「思い込み」と「決断」に尽きるのだ、ということを、坂本龍馬と渋沢栄一をめぐる孫正義の逸話は、納得させてくれる。

私が初めて孫に会ったのは、1996年のはじめ頃のことだった。当時、孫がいろいろな場所で「日経ビジネスがソフトバンクのことを取り上げないのは政治的な意図によるものだ。けしからん」「M&Aで日経BPの経営権を取ってやる」と言っているという話が聞こえてきた。ジフ・デービスの買収など、出版業やイベント業に深いかかわりを持つソフトバンクが、技術系出版・イベント分野でソフトバンクの存在を脅かしていた日経BP社の経営に、関心をもっている時期だった。

ソフトバンクの行動や意図について、とやかく言うつもりもなかった。しかし、問題はジャーナリズムとしての「日経ビジネス」の信用にかかわる誹謗中傷だった。日経BP社長の鈴木隆に説明したうえで、孫に正式に会見を申し入れて、直接話をすることになった。その会合に同席したのが、野村證券から移籍して間もない常務の北尾吉孝だった。北尾はソフトバンクに入社してまだ1年経過していなかったと思う。

のっけから速射砲のように孫が語る、インターネット社会の未来についての情報と視点は、魅力に満ちたものだった。しかし、「なぜ、ソフトバンクのことを前向きに取り上げないのか」という批判は、ジャーナリズムの自立性をまったく理解しないピント外れな議論であった。

孫は、まだ目新しかった軽量のノートパソコンを手に持って見せながら、「このパソコンがインターネットとつながっていて、ソフトバンクのすべての経営情報と人事情報が見られるんです。世界中どこに出張していても、すべてを把握できます」と特徴的な愛嬌のある笑顔を振りまきながらまくし立てた。クラウドの時代を先取りする議論でもあった。iPhoneなどスマートフォンが当たり前になる10年以上前のことだった。

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