「オフィスロボ」は人口が減る日本の必需品だ RPAホールディングスが進めていること
小林:そして、それから3年程後にソフトバンク(現ソフトバンクグループ)に転職されるわけですね。
高橋:ええ。MIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボの初代所長を務めたニコラス・ネグロポンテ氏が書いたベストセラー『ビーイング・デジタル――ビットの時代』を読み、来たるべきデジタライゼーション時代について感銘を受けました。そして、同じような未来を思い描いている孫正義氏が率いる会社で働くことにしたのです。
当時のソフトバンクは店頭公開市場(現ジャスダック)に上場したばかりで、パソコン向けの雑誌とフロッピーディスク製のソフト販売しか手掛けていませんでした。でも、ちょうどその頃から新規事業の開拓を積極化し、メディア王のルパート・マードック氏と共同でジェイ・スカイ・ビー(現スカパーJSAT)を立ち上げるという話を耳にしたので、僕はピンときて履歴書を送り、採用されました。26歳のときのことでした。
ちなみに隣のオフィスに入っていたのは、やはりソフトバンクが多額の出資を行ったヤフーでした。その後、ソフトバンク本体に戻ってソフトバンクファイナンス(現SBIホールディングス)の立ち上げにも携わり、そこでインターネットの可能性を再認識した僕は2000年4月に、4人で今の会社の前身を設立しました。いずれもアンダーセンコンサルティング出身者です。
ITバブル崩壊直後に起業し、リーマンショックでも試練
小林:2000年4月と言えば、いわゆるITバブル(ネットバブル)が崩壊した直後のタイミングではありませんか?
高橋:おっしゃる通りです。株式市場は完全にクラッシュし、特にベンチャー企業の資金調達においては極めて厳しい環境で、まさに最悪のタイミングでの船出となってしまいました。ただ、大手企業がネットを活用した新規事業に取り組み始めた頃だったので、そのお手伝いをすることでどうにか資金をつないでいこうと考えました。すると、思った以上にニーズがあることを実感し、2002年ぐらいからネットに特化した新規事業コンサルティングを本格的に展開したのです。
事業開発まで含めてコンサルティングを行うビジネスプロデュースというコンセプトがヒットして、僕たちのビジネスは2008年までそれなりに成長軌道を描いていきました。その分野ではそれなりのポジションを獲得し、会社としても40人程度の規模になったのが当社の第1フェイズです。
小林:「2008年まで」とおっしゃいましたが、その年の9月にリーマンショックが発生しています。やはり、御社の事業にも大きな影響があったのでしょうか?