アクトコール、「松下村塾のようにしたい」 平井俊広社長にロングインタビュー
小林:その思いが次の起業へと結びついていくのでしょうか?
平井:ええ。何をせずとも毎月ある程度の収入を得られる仕組みが出来上がっていましたが、40歳になった時点で、そういった暮らしをあっさり捨て去ることにしました。そして、特に何をやろうと決めていたわけではなかったけど、上京して森ビルにオフィスを構えました。森ビルの中でもかなり築年数の経った古ビルで、わずか17坪の狭い部屋です。
だけど、新しいことを始めるにあたっては住所(ビル名)が肝心ですから、僕にとっては森ビルであることが重要だったのです。
小林:すでにその頃から、今の事業につながるようなアイディアが閃いていたのですか?
平井:何も思いついていなかったし、何も決めていませんでしたよ。ただ、会社を作っただけで、他には何もありません。だけど、僕の中に夢はありました。それは、自分の会社をIPOさせることです。当時の状況でそんなことを口にすれば、「ウソをつくな!」と誰もが突っ込んだことでしょう。
だけど、ウソはそのことが過去となってから、初めて偽りだったと確定するものです。だから、まだ確定していない未来のことに対して、ウソというものはありえません。「ホラ」を英訳すれば、「ビジョン」となるわけですから(笑)。
小林:まさに有言実行で、会社設立から約7年後には実際に上場を果たしたわけですね。
平井:だけど、紆余曲折もありましたよ。上場予定の約1年前に当時の主幹事証券会社より、スケジュール変更の話が持ち上がりました。これは恐らく系列の銀行がベンチャー企業の上場に消極的姿勢を示したからだと思っています。そこで、別の主幹事と組むことになったわけです。ところが、東京証券取引所から承認を受ける2日前の段階になって、ギリシャショックの煽りで、また延期になりそうになったことも。
ただ、こちらの強い意志が尊重され、最終的にはオンスケジュールで進めること合意いただいたんですが。案の定、ロードショー(機関投資家向け説明会の開催)中は想定価格がずっと下に張りついていましたが、ギリシャで選挙が行われてアク抜けしたことでようやく値段がつき、2012年7月13日に上場の日を迎えたわけです。別にダイエットしていたわけでもないのに、1年間でも10キロも痩せられましたよ(笑)。
間違い電話をキッカケに新会社の最初の事業が始まる
小林:現在の住生活関連総合アウトソーシング事業の確立に至るまでには、どのような経緯があったのでしょうか?
平井:上京してあちこちに挨拶回りを行っていく課程で辿り着いたという側面もありますが、緊急駆けつけサービスを全国に展開しているJBR(ジャパンベストレスキューシステム)代表取締役社長の榊原暢宏さんが間違い電話をかけてきたことも大きなキッカケですね。別の平井という人物にかけたつもりだったようで、途中でそのことに気づいたようですが、なかなか言い出せなかったらしく、「それはそうと……」という話になって、「ウチの会社のビジネスの営業活動を手伝ってくれませんか?」と彼が言ってくれたのです。
「もちろん、キミの頼みなら断る理由なんてない」と僕は二つ返事で承知して、その2年後には自前のコールセンターを設置し、2007年10月から 年額制緊急駆けつけサービス「アクト安心ライフ24」の提供を開始するに至ったのです。そして、以前から親交のあったルートを通じ、不動産業界にも事業を広げていきました。