アクトコール、「松下村塾のようにしたい」 平井俊広社長にロングインタビュー

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小林:大きな挫折を味わったわけですね。その後はどうなさったのですか?

平井俊広(ひらい としひろ)/大学を卒業後、1988年4月に専門商社の高島に入社。28歳で退職し、平井物産代表取締役、ジェイビー総研代表取締役を経て、2005年1月に全管協サービス(現アクトコール)を 設立し、代表取締役社長に就任(写真:Signifiant Style)

平井:諸事情で大学は自分が希望していたところには進めなかったので、とにかく卒業さえできればいいと考えました。だから、とにかく様々なアルバイトに明け暮れる日々を過ごしました。

そして、大学卒業後は専門商社に入ったわけですが、ここで僕は一つの決心をしました。ほとんどの人たちは、あらかじめ決められているルールに従って生きています。だけど、僕は「会社が決めたこと」ではなく、「自分自身で決めたこと」に沿って働こうと思ったのです。

就業規則で9時出社と定められていたら、僕は8時には自分の席に着く。売上目標が年間1億円だったら、僕は1億5000万円をめざす。こうして会社は定めたことよりもつねに上のことをやっていけば、文句を言われる筋合いもありません。

小林:会社としては、そのような猛烈社員なら、むしろ大歓迎です。でも、やがてその商社をお辞めになるわけですよね。

絶体絶命のピンチで、リリーフ役を買って出た

平井:ある後輩が会社を辞めて営業代行の会社を立ち上げ、「命を懸けて頑張るつもりです!」と言っていたので、僕も応援していました。最初のうちは業績も好調でかなりの高収入だったことから、僕の周辺の人間もどんどん辞めて後輩のもとに合流していきました。

ところが、その会社の経営が急に苦しくなって、「どうしたらいいでしょうか?」と僕のところに泣きついてきたのです。そこで、僕は腹を括って5年間勤めた商社を退職し、彼らの面倒を見てやることにしました。

小林:絶体絶命のピンチで、リリーフ役を買って出たわけですね。それで、どうやって建て直そうとしたのでしょうか?

平井:携帯電話の販売です。といっても、タダでもいいからとにかく大量に配って、より多くの契約者を獲得したいというのが当時の通信事業者の意向でした。だから、僕たちは3日間で6000台を配りきりましたね。正月三が日に神社の境内でくじ引き大会を開催し、ハズレだった人にもれなく携帯電話を進呈したのです。

神社からの貰い物は無碍にできないのが日本人ですし、この作戦は見事に当たりましたね(笑)。でも、そのうち携帯電話は店舗を通じた販売が主体となってきたので、それだけのコストを抱えるのはリスクが高すぎると判断して、あっさり別のビジネスに切り替えることにしました。

小林:次はどのようなビジネスに目をつけたのですか?

平井:ちょうどその頃、大久保秀夫さん率いる新日本工販(現フォーバル)が当時として最速の記録で株式上場(当時は店頭公開)を果たしました。いわゆる連鎖販売を手掛ける会社が上場したので、僕は非常に面白いと思いましたね。

日本では「連鎖販売=マルチ商法」といった悪いイメージでとらえられがちですが、アムウェイがグローバルにビジネスを展開しているように、すべてが非難されるべきものではありません。そこで、取り組み始めてみると、瞬く間に16万人もの市場を獲得できたのです。ただ、ビジネスに失敗して落ちぶれていく人たちをたくさん見ているうちに、次第に僕は空しさを感じるようにもなりました。

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