「セクハラ罪はない」「福田(淳一前財務次官)に人権はないのか」など、終始、「加害者」である福田氏をかばい続けた麻生財務相。そうした発言の裏には、この程度の「エロトーク」に何の問題があるのか、という個人的な義憤のようなものがあったようにも感じられる。
今どき、絶対に許されない悪質セクハラ行為でも、下ネタの産湯につかり、その千本ノックの中に生きてきた昭和のオジサンの中には、セクハラの問題性を本質的には理解できていない人もいるのかもしれない。
オジサンネタの鉄板だった「エロトーク」のタブー化
確かに、20年前にワープすれば、こんな「エロおやじ」は山ほどいた。土曜日の深夜のテレビのお色気番組や夜更けのラジオ……。今となってはありえないレベルの猥談や露骨な性表現が世の中にあふれかえっていた。しかし、今、こうした「エロ」が許容される余地はあまりない。
大学でセクシュアリティを専門分野とする男性教員は、自分の研究内容についてどうコミュニケーションをするのか、日々頭を悩ませている。授業では、ポルノや性風俗などについての話も許されるが、学外の人との会話や、普段の飲み会の席でも、どこまでがOKなのか悩んでしまうという。何かあればセクハラだ、パワハラだ、アカハラだと訴えられかねない時代、何がいつとがめられるかわからない。自然と口が重くなり、付き合いも億劫になってくる。
かつて、オジサンネタの鉄板だった「エロトーク」。男の子が「ち〇こ」「う〇こ」といった下の話を愛してやまないのは、それを彼らが口にしたときの、周囲の反応が楽しいという要因もあるのだろう。下ネタは笑いを取りやすく、男性の会話における恰好の潤滑油だった。その「伝家の宝刀」を失った今、中高年のエロトーク・ネーティブ世代のオジサンたちの多くが、一つひとつの発言に、炎上するのではないかとビクビクし、口をつぐみがちになっている。「エロトークのタブー化はただでさえ、コミュニケーションが苦手な男性にとっては、さらなるハンデになる」とこの教員はため息をつく。
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