周囲の男性に聞くと、「感情を見せるべきではないという意識が働く」「自然と(感情を)抑えるようになっている」「男は泣いてはいけない、怖がってはいけないといった暗黙の了解がある」「感情をさらけ出すことは、裸になるような恥ずかしさがある」「感情はあってもそのことについて話したくない」「弱いところを見せたくない」という答えが返ってくる。
確かに、企業や組織のリーダーシップには感情をコントロールし、多少のことでは動じない冷静さが要求される。そういった意味で、仕事などでは、感情を制御する能力は役に立つわけだが、胸襟を開くことのないコミュニケーションでは深いつながりや絆をつくるのは難しい。
「男なんだから泣くな」「男は度胸」という言葉にも表れるように、感情を表に出すこと自体が「女々しい」、男ならちょっとのことで感情的になってはいけない、という社会通念もあるだろう。だから、「怒りや興奮、誇り」といった「男らしい感情」はまだ許されても、「うれしい」「悲しい」といった「女らしい感情」はあまり示してはならない、という自己抑制が働く。
この「男らしさ」(manliness)こそが、孤独(loneliness)の元凶にある、という見方もある。男性ジェンダー学の第一人者であるアメリカの社会学者のマイケル・キンメル氏は昨今の欧米で頻発するセクハラ事案の根底には、「男は男らしくあるべき、といった伝統的、遺伝的な考え方」があるとし、同時に、そうしたとらえ方そのものが、「孤独や空虚感、つながりの欠落、共感や思いやりの抑圧を生み出すレシピなのだ」と述べている。
いまだに残る「〇〇らしさ」の縛り
こういった「〇〇らしさ」の縛りは、もちろん女性にも根強く存在し、「美しくあれ」「かわいらしくあれ」といった圧力はあるものの、伝統的な価値観を抜け出て、女性が強く、自立した(従来の)「男性的」な生き方を志向することはポジティブにとらえられるようになっている。
たとえば、女性が、これまで男性の独壇場だった職場、パイロットや科学者、技術者などといった職業で活躍することは、ヒーローのように賞賛される。一方で、男性が、女性が大多数の職業、たとえば「キャビン・アテンダント」「バスガイド」などとして活躍する話はあまり聞かないし、日本社会ではいまだに、男性が「女性らしい」言動をすることに、強い偏見のようなものが残されているようにも感じる。
つまり、女性が男性のように振る舞うことはある程度許容されても、男性が女性のように振る舞うことにはまだ、抵抗が強い。長年、「ジェンダーの壁」を打ち破ろうと闘ってきた女性が、その成果を少しずつ手に入れ始めているのに対し、男性はいまだにその因習にとらわれ、「男らしさ」の縛りで身動きができなくなっているように見えるのだ。
肉食系から、草食系、イクメンといわれる新世代男子の時代へと移行し、ジェンダー観も変わりつつある。セクハラと孤独の土壌となるようなマッチョ(男性優位的)な「男らしさ」の呪縛から解き放たれる時代なのではないだろうか。
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