セクハラ醜聞で露呈する「記者クラブ」の腐臭 違う話のように見えるが実は繋がっている
財務省の福田淳一事務次官が恒常的にセクハラを行ったとして「週刊新潮」が被害者と福田次官のやりとりを報じ、福田次官は4月18日にセクハラを完全否定しながらも辞任を表明した。そして、24日に閣議でその辞任が承認された。
この問題は、メディアにおいては「セクハラ疑惑」として取り上げられることが多い。しかし、長年にわたって、フリーランスの立場、あるいは記者クラブには所属していないメディアのジャーナリストとして取材してきた筆者の目線でみると、問題の核心はセクハラそのものではない。
むろんセクハラは大問題ではあり、そのことを微塵も否定するつもりはない。しかし、問題の核心は「記者クラブを通じて新聞やテレビなど一部の媒体が官庁などの取材機会を独占していること」「そこに癒着ともいえるような関係が醸成されており、取材する側、取材される側が適切な距離を維持できなくなっていること」にある。
「バーにおける1対1」が生まれる理由
記者クラブ加盟各社の記者は、立場上、次官や大臣など当局の機嫌を損ねることを言うことは難しい。記者クラブでは同じ情報を共有して嫌われないようにしつつ、1対1の場において特別なリーク情報を得ようとする。特ダネをいかに抜けるか、特オチをいかにしないか、が勤務先である新聞社・テレビ局の人事評価における重要なポイントになるからだ。
その結果としてバーにおける1対1での会話という場面も生まれる。密室でハラスメントの被害に遭ったとしても、それを批判して機嫌を損ねてしまえば、特別な関係を失ってしまう。そのため、どうしてもハラスメントを告発しにくくなるのだ。
その意味で、一見無関係のようにもみえる記者クラブというシステムが、ハラスメントの温床にもなっているように感じられる。筆者は、今回の問題を契機に、その在り方を見直すべきだと提言したい。
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