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54歳「がん全身転移」を克服した男が走る意味 死線をさまよい生き延びた先に使命が見えた

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  • 塚崎 朝子 ジャーナリスト/博士(医学)・慶応義塾大学非常勤講師
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完走直後、「1年後のサロマ100キロメートルマラソンに復帰する」と宣言した。それから何回かフルマラソンを完走したが、4時間を切ることはできなかった。大会3週間前の血液検査では、異常を知らせる数値がハネ上がっていた。

だが練習の疲労のせいだったらしく、直前にデータが改善し、何とか医師の許しを得た。しかし、英子は激高した。懇願してもあきらめないことを知ると、「完走しちゃダメ、途中でリタイアして」と強い口調で言い放った。

けんか別れのように夫を送り出した英子は気が気でなかった。通過地点のラップタイムはインターネットでわかる仕組みになっている。英子は自宅でパソコンの画面で追い続けていた。「まだやめない。まだやめない……。80キロメートルを超えた頃から完走できそうだと興奮し、夫にエールを送っていた」。

大久保は12時間台でゴールイン。涙は出なかったが大きな安堵感に包まれた。「(退院からサロマ完走まで)6年もかかったが、ようやく人生の振り出しに戻れた」。

帰路、自分のブログを見ると、なんと英子が応援者への感謝をつづっているではないか。家族の絆は深まった。

がん発病前の記録を更新、そしてその先へ

この復活劇を偶然知ったのが、同じゴールドマンに勤めていた浮津康宏だ。部署は違うが、病気になる前の大久保が会社のジムでストイックに自分を追い込む姿が記憶にあった。次の年は自分もサロマに挑戦しようと思い、大久保に助言をもらいに行って意気投合した。実際には浮津の走力は大久保より上で、いつしか「コーチ」と呼ばれ、大久保の走りに助言を与える立場になった。

浮津は大久保を「目的に向かって勢い込んで進んでいく姿には心を打たれるが、がむしゃらすぎて、メリハリをつけないと能力を発揮できない」と冷静に見ていた。その助言もあり、サロマ復帰から、またも3年続けて完走するどころか、がん発病前の記録を更新した。

50歳のとき、大久保はゴールドマンを辞めた。

単なるボランティアは嫌だった(撮影:尾形文繁)

「このまま仕事人として中途半端では終われないと考えたことが、後半の人生のモチベーションとなった。生かされた命で社会に恩返ししたい」

ただ、単なるボランティアは嫌だった。自分にしかできない役割ががん患者の支援組織ファイブイヤーズの立ち上げであり、その社会事業化だった。

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【目標は「社会貢献のビジネス化」】

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