54歳「がん全身転移」を克服した男が走る意味 死線をさまよい生き延びた先に使命が見えた

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30代後半、営業成績は伸び、マラソン大会も出るたびに自己ベストを更新した。公私とも成長が実感でき、仲間も増えた。2003年、40歳を控えて、「サロマ湖100キロメートルウルトラマラソン」という新たな大目標を据えた。初挑戦ながら、12時間台で完走した。

その後3年連続して完走。明けて2007年2月の3連休は、家族で長野県・軽井沢に旅行した。まだ明け切らぬ早朝のトレーニング中、凍った路面に足を取られて崖を転げ落ちた。右足首はだらりと折れ曲がり、身動きできない。気温マイナス5度の真冬の別荘地に1時間横たわったまま。凍死するかもしれないと思い始めたとき、タクシーが通りがかり、命拾いした。

地元の病院の休日診療では治療が手に負えないと、英子は東京へと車を駆った。幸い、自宅から車で10分ほどの東京慈恵会医科大学附属病院に、空きベッドがあった。5時間にわたる手術だったが、順調に回復した。

退院を翌日に控え、気づいた異変

1カ月して退院を翌日に控え、シャワーを浴びていた大久保は異変に気づく。右側の睾丸がビー玉のように硬くなっていた。

知らされた整形外科の主治医は青ざめ、大慌てで泌尿器科医に連絡。その日のうちに、さまざまな検査が行われ、病名は精巣がんだと告げられた。現実感はほとんどなかった。大久保の大学時代、母親が乳がんを患っていたが、それもだいぶ昔の記憶だ。日頃から人一倍健康に気を配り、人間ドックを毎年受診し、2カ月前にフルマラソンを完走しているのだ。

泌尿器科の主治医から、ランス・アームストロングという、米国の自転車ロードレース選手が、同じ精巣がんから競技に復帰したことを知らされた。プロのスポーツ選手でもがんになるのなら、がんの原因を探しても仕方ない。

手術直後、がんは全身に転移していた(撮影:尾形文繁)

しかし、右睾丸摘出手術の直後、がんはリンパ節をはじめ、首、肺など全身に転移していることが判明した。この段階まで進むと、5年生存率は49%、抗がん剤の治療に懸けるしかない。強い抗がん剤3剤の投与が始まると、副作用で吐き気が襲い、髪の毛も抜けた。

上京した両親は驚愕し、大久保も毎日のように病室で号泣した。しかし、病室に顔を見せる英子は、「泣き虫だね、薬に感謝しなさいよ」とあえて突き放し、いつも笑顔だった。大久保が孤独に耐え切れず夕暮れ時に電話すると、「子どもの世話と夕飯の支度で忙しいのよ」と一蹴された。

強気を装った英子は毎晩、自宅で手を合わせていた。「家族が普通に接してくれるのは本当にありがたく、随分と気が楽になった」と、大久保は振り返る。

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