あくせく稼いだおカネも、家賃を払ったらいくらも残らない。とにかくいつもお腹が減っていた。毎日テーブルに小銭並べて
「どうやって生きていこう?」
と思いながらチキンラーメンばかり食べていた。
「この頃が人生でいちばん底辺でしたね。辛かったです。周りにも似たような生活してる人たちがいたから劣等感はなかったけど金持ちを憎んでいました。これは今も思ってますけど(笑)」
そんな状態の丸山さんを見かねた、大学の先生が声をかけてくれた。
「先生の同級生が測量会社を経営しているので、そこに就職しろと勧められました。素直に従って、はじめて正社員として入社しました」
給料はあまり高くなかったが、それでもがんばって働こうと思った。そこで基本的な社会人としての素養を遅ればせながら身に付けていった。
毎朝、測量のための機材を自動車に積み込む。その日も作業をしていると、ふと知った顔を見かけた。大学時代の知り合いだった。彼は、丸山さんが勤める会社から斜め向かいに歩いて30秒くらいの場所にある出版社で働いていた。
“アジア旅行”の話題がずいぶんうけた
久しぶりの親交を温めていると、
「うちの編集長が話を聞きたがってるんだけど、会わない?」
と声をかけられた。編集長と話をすると学生の頃から頻繁に足を運んだ“アジア旅行”の話題がずいぶんうけた。
せっかくそんな面白いエピソードを持っているんだから、本にしないか?と勧められ、毎日思い出しながら書き始めた。
本を書いているさなか、勤めている会社の業績がみるみる悪化していくのがわかった。
仕事は滞るし、必要な事務用品は行き届かなくなる。そしてある日シャッターが閉められた。シャッターには弁護士の通知書が貼られていた。
会社が倒産するギリギリ手前で、単行本『アジア「罰当たり」旅行』(彩図社)を発売することができた。
「なんとか単行本を出版することができました。自分で1冊書いてみて痛感したのですが、自分で書くより人に書いてもらったほうが楽だなと思いましたね。それで編集者を目指すことにしました」
改めて就職活動をして、ビジネス書を発行している出版社に入社することができた。
丸山さんは26歳で編集者になった。
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