中学時代は、柔道部に入部し、成績は良く、仙台市内の大会で優勝した。また友達と楽しく過ごした。ただ中3で初めての挫折を経験する。
「第1志望の公立高校の入試に失敗しました。当然受かると思っていた高校だったので、かなりショックでした」
スポーツが有名なマンモス私立高校に入学した。高校時代は、高校入試の失敗を受け入れられないまま過ごしていくことになる。柔道部のチームメイトなど友達はいたが、同級生とは疎遠になりがちだった。
そんな高校1年の春、はじめての1人旅に出た。青春18きっぷで国内を回った。
「大阪、奈良、京都、滋賀、島根、鳥取……などを旅しましたね。切符だけ買って、カバンひとつで旅をするというやり方です。
駅舎とか、建築中の工事現場とかで野宿していました。それで、『どこに行っても大丈夫』という変な度胸がつきました」
高校時代成績は悪くなかったのだが、学内の生活はあまり楽しく感じなかった。
ただ学外の空手の道場に通い、そこで初めて大人の人たちと知り合った。
弁当屋と引っ越し屋でアルバイトして、そのおカネで本を買って読み漁った。特に官能小説を得意とするフランス書院の本がお気に入りだった。
日々の生活を送るうち、いつしか生活空間に窮屈さを感じ、仙台から離れたいと思った。
「今、思えば仙台ももっと広いと思うんですが、当時の自分にとってはすごい圧迫感がありました。活動範囲は限定されているし、人間関係も狭い。高校生活最後のほうは、そんな環境が気持ち悪くなってしまいました」
大学は東京の國學院大學を選んだ
両親には地元の私立大学に進学するよう勧められたがあえて行かなかった。
仙台で受験ができて、考古学の学部がある東京の國學院大學を選んだ。
「本当は旅している時にとても風景が気に入った島根や鳥取などの国立大学に行こうかとも思ったんです。ただ母親が「そんなに遠い大学に行ってしまったら二度と帰ってこなくなるんじゃないか?」って心配しまして、折衷案で東京の大学に行くことになりました」
大学には、神主、考古学者、国文学者など普段はなかなか出会えない毛色の変わった人たちがたくさんいて楽しかった。
高校時代に通っていた空手の道場は、大学入学後も通うことにした。早稲田大学にある学生支部に通うことになった。
「そこで早稲田大学の学生たちとつるむようになりました。いわゆる“頭の良い大学生の過ごし方”を目の当たりにしました」
彼らは大学生でありながら出版社や映像関係の会社でアルバイトをしていた。それを見て「出版の仕事は手に届く場所にあるんだな」と知った。ただ考古学者になる夢はいまだに持っていたので、出版関係で働きたいとは思っていなかった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら