そこでマーケティングを一から見直したのが1990年代にマネジメントのトップとして投入されたモンテゼーモロであった。彼はマーケットのニーズに合ったクルマ作りに徹底した。北米マーケットを最優先し、快適性を加味したモデル開発を行ったのだ。それまでの“趣味クルマだから許される”というネガティブ面を潰し、誰でもが快適に運転できるクルマ作りを目指した。このコンセプトに影響を与えたのが純国産スポーツカーであるホンダNSXであるとも言われている。しかし、フェラーリの原点である2ドアという点においてはぶれることがなかった。
フェラーリ・ロードカーとして1つのジャンルを作った「250GT」シリーズはその名のとおりグラントゥーリスモであった。グラントゥーリスモとは2名プラスアルファのパッセンジャーが快適なロングドライブができるようなキャビンスペースと荷物スペースが確保されたスポーツカーのカテゴリーである。
「フェラーリは2ドアだ」という鶴の一声
その後のフェラーリラインナップでも「456GT」や「612スカリエッティ」という、フロントにV12エンジンを搭載した比較的大柄な2ドアクーペが誕生し、その流れがフェラーリ・FFやGTC4ルッソに受け継がれているとも言える。
さらなる実用性を考慮し、サルーンのプロジェクトが立ち上がったこともあった。1980年には当時、商品企画やスタイリング開発でフェラーリと深い関係のあったピニンファリーナはフェラーリとして初の4ドアモデル「ピニン」を発表し、モーターショーにフェラーリ・バッジを付けて披露された。しかし結果的に創始者であるエンツォ・フェラーリの「フェラーリは2ドアだ」という鶴の一声でプロジェクトは中止となったという。
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