このカイエンはポルシェの属するフォルクスワーゲン(VW)グループのコンポーネンツをうまく流用できた。VW「トゥアレグ」と共通のプラットフォームを用いることで開発のコストダウンや量産効果による高い信頼性を実現したのだ。ライバルメーカーはその対抗馬を発売しようにも、VWグループのような、AWDコンポーネンツなどの資源を持ち得たところがなかったため、長きにわたってカイエンは先行者利益を享受できた。
ブランドイメージ変貌によるリスクの高さ
スポーツカーメーカーの生き残る道として、いち早くドラスティックなかじ取りを行ったポルシェは、年間24万台を販売する量産メーカーとしての地位を確立したが、彼らにも大きな悩みがある。
ポルシェのラインナップの中で、カイエン、そしてその下位セグメントであるマカンというSUVの販売比率がどんどん拡大しており、なんと(2モデル合わせて)現在では70%を超えるという。つまり、ポルシェにおける「911」シリーズなど純粋なスポーツカーの存在感がしだいに薄れ、とがったスポーツカーとしてのイメージが変貌したことを意味する。量販へのシフトにおいて成功したポルシェの大きな危機はここにあるのだ。
フェラーリはたかだか年間8000台ほどを売る少量生産メーカーだから、ブランドイメージ変貌によるリスクの高さはポルシェの比ではない。高価格、高利益率の少量生産ビジネスの維持に全力を費やすというDNAを守るため、このポルシェが歩んできた流れをなぞるワケにもいかないのだ。
そのフェラーリにしても、その歴史を振り返ってみると、1980年代の後半になり、特に北米マーケットで、ストイックなそれまでのモデルの売れ行きに陰りが見えた時期があった。
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