タカヨさんの講演会は若田飛行士の小中学校時代の同級生らが開いたものだった。同級生女子たちは当時の若田さんを「一休さん」のイメージと話す。「学校で一休さんの劇をしたときに、光ちゃんが主役だったのです。心が温かくて知恵があり、何を聞いても答えてくれる。そして努力家。一休さんは光ちゃんそのものだと思いますね」。若田家で培われた「考える力」は友達も認めるところだったのだ。
親の生き方を、子どもは見ている
タカヨさんは努力家でもある。大分県の農家出身。当時、農家の娘は高校に進学しないのが一般的だったが、学問好きで高校に通った。電電公社に勤めてから選抜試験に合格し、大学教育も受けている。その後、抜擢されて東京に勤務。光一さんが生まれた後もしばらくは働いていた「元祖キャリアウーマン」なのだ。だから勉強すること、選択肢を広く得ることの大切さを知っていたのだと思う。
小学生の頃、英語を習いたいと光一さんが言ったときも喜んで習わせ、中学2年生でアメリカへのホームステイも経験させた。アメリカの家族と過ごした日々は、見るものすべてが新しく、宇宙飛行以上に強烈だったと若田飛行士は語っている。帰国後は英語をもっと話せるようになりたいと、必死に勉強を始めたそうだ。
若田飛行士が何よりお母さんから譲り受けたと感じるのは、その「朗らかさ」だ。タカヨさんの座右の銘は「心に太陽を持て」。山本有三の著書の一節を信念に、いつも夢や希望を持って明るく生きて暮らそうとしてきたという。
古川浩子さん、若田タカヨさんは育児が一段落した頃、仕事を再開し、働く姿勢も見せている。お二人の話を聞いていると、親の生き方を子どもはちゃんと見て、受け継いでいくのだなと実感する。好奇心の種をまくこと。その子だけの「芽」が出たらしっかり根をはり、風雨にも揺らがず育つように見守ること。そして親自身が、日々、楽しく、希望を持って生きることが大切だと、背筋が伸びる思いがするのである。
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