高校2年生なのに「タイムマシンを作りたい」
ところで、「宇宙飛行士になりたい」と言われれば、大抵の親は戸惑うのではないだろうか。聡さんの高校時代は日本に宇宙飛行士は存在しなかったため、宇宙飛行士を目標に掲げてはいなかったという。しかし大学での専攻を決める高校2年生の頃、浩子さんは聡さんからこう言われて、ぎょっとした。
「タイムマシンを作りたいのだけど、どの学部に行けばいいと思う?」と。
「思わず笑いましたね。『まだ子どもね』と。聡は漫画の『ドラえもん』が好きだったから『どこでもドア』のような、世の中にないものを作りたかったのでしょう。今はまだそういう学部はないんじゃないかなと答えました。もし当時そういう学部があれば、もちろん反対はしないし、一緒にタイムマシンに乗りたいほどですけど(笑)」
その後、聡さんは医師である叔父さんの話を聞いて医師を目指した。しかし、医師になって9年後、当直時に宇宙飛行士募集のニュースを見て、応募することになる。
その子だけの「芽」の見つけ方
古川浩子さんと話していると、楽しくて大笑いして元気をもらえる。一方、会うたび心が癒されて思わず身の上相談までしたくなってしまうのが、若田光一飛行士の母、タカヨさんだ。
タカヨさんは昭和8年生まれの80歳。今もゲートボールの試合を欠かさないうえに、試合があるときは自ら車を運転して仲間を乗せて連れて行くという。いつも優しく微笑みを絶やさないが、芯のしっかりした、肝っ玉母さんだ。
9月17日、さいたま市で若田タカヨさんの講演会が行われた。タカヨさんがまず話したのは「子どもは誰でも生まれながらにして、その子だけの芽を持っている。その芽を摘み取らないように、いいことをしたら本気で褒め、悪いことをしたら本気でしかり、耐えることも教える。そうすれば安心して枝葉を伸ばし、いつかきれいな花を咲かせます」ということだ。
若田飛行士の「芽」を見つけたのは、こんなときだったそうだ。
若田家の実家は鹿児島にあり、帰省で飛行機に乗るのを光一少年はとても楽しみにしていた。幼稚園の頃、着陸したのに光一君は窓の外を見ていて、なかなか降りようとしない。「早く来ないと最後になってしまうよ」と言っても、「うん、今行くよ」と言いながら視線は窓の外のまま。手を引っ張って無理にでも連れて行こうとタカヨさんが近くに行くと、光一君が集中して外を見ていることに気づいた。視線の先には、着陸した飛行機が5、6機並んでいた。その操縦席や翼を熱心に観察していたのだ。
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