困っている人を助けない日本人の悲しい現状 いとうせいこう×中島岳志対談<後編>

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いとう:いまだと、縁を切ってどこにいるかというと、漫画喫茶(ネットカフェ)になってしまっている。なぜ働かないんだと批判する人もいるけれど、働いてもおカネが稼げないから彼らはそこでずっと暮らしているんです。もし寺の境内にそんな施設があれば、彼らも「じゃあ座禅でもしますか」「宴でもしましょう」となるかもしれない。でも、漫画喫茶のように仕切られた狭い空間では、相互扶助もなかなかできません。

3・11の後、被災地の人たちを団地のような建物にどんどん詰め込んでしまっているのも同じです。あそこへ行くとほんとゾッとするんです。仮設のときはおばさんたちが外に出てしゃべっていたからまだよかったけれど、公営住宅では村の人たちをバラバラに入れて、外の空間を全部切り取ってしまっている。ただただひとりで孤独死していくだけ。これは、よくない無縁ですよね。もう一回縁をつなぐような場所を作るには、確かに寺の境内や教会が大事なんですが、動かないんだよねえ。もったいない!

寺の再生が日本を立て直すカギ

中島:インドでは、寺は、困ったときに行けばなんとかなる場所なんですよね。ご飯をくれて、雨宿りができる。アメリカで生活していたときも、教会は夜中でも開いていて、雨露や寒さをしのげる場所だった。日本に帰ってきてびっくりしたのは、寺がセコムに入っていることだったんです。午後5時になったらピシャっと閉まってしまう。寺が困ったときに行ける場所になっていないのはなんなんだろう、と。

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いとう:そういう寺はなくなりましたね。

中島:いま、日本でメンタル面で困ったときはクリニックに行きますからね。それも大切な場所ですが、寺もそのひとつであってほしいんです。ただ、いまの人たちにとって、お寺の門をくぐるのはすごくハードルが高いので、敷居をなんとか下げたい。いとうさんとみうらじゅんさんの仏像論トークイベントはその突破口になるように思っているんですが。

いとう:寺に勝手に人を集めているからね。

中島:仏像に、おもしろさを含めて切り込んでいる。あと一歩行けば、寺や住職の領域に入っていきますよね。深刻な話というより楽しくやらないと、たぶん人は乗らないでしょうから。

いとう:そうそう。死者と話すからといって辛気くさいわけじゃない。ここ重要だと思うんです。あらゆる祭りは、死者と融合するためにあるわけです。それなのに死者だ、宗教だというと、悪いイメージが浮かんでしまうのがもったいないですよね。

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