困っている人を助けない日本人の悲しい現状 いとうせいこう×中島岳志対談<後編>
保守とリベラルの親和性
中島 岳志(以下、中島):私は、1月に亡くなった西部邁さんを筆頭に、何人かの影響を受けて保守の論理を考えてきました。私なりに保守の論理を追求していくと、実はリベラルという概念に接続していくんです。おもしろいことに、私の本も、自称保守派の人たちより、リベラルや左派の人たちのほうが読んでくれている。
この点でも、いとうさんと共通点を感じています。いとうさんは、日本の古典芸能の中にある庶民的な叡智を抽出することがリベラルという概念に接続すると考えていらっしゃると思うんです。
いとうせいこう(以下、いとう):そのとおりです。僕は昔、「着流し左翼」って自分で言っていましたから。日本のことをよく知っていることは、当然リベラルにつながります。江戸の庶民たちがどれだけ反抗的だったかご存じですか、という話です。いまのような国民国家なんてなかったわけだから。
僕は、「保守の人たちは、ひとりで着物着られるのかなあ?」といつも思う。うまく着こなすような感覚を持っているようには見えないんですよね。ときどき、ものすごく派手な着物を、「着物の日」とか言いながら着ていますよ。でもあれは下町を歩いたら「かっこ悪い」と言われてしまうような着方です。そういう振る舞いをしていること自体が、日本的ではないんですよ。昔の日本人は、隣の国々に対して居丈高なところもなかった。でもそういう余裕もなくなっている状況を見るにつけ、「日本人が劣化している」としか思えない。
逆に、左派だってもっと日本のことをよく知ったほうがいいんですよ。ところが、保守の中島くんが僕と同じことを言っている。着流し左翼としては、「おい、保守の側にこんないちばん正しいこと言う人がいるのか。情けない」ってな具合です。