困っている人を助けない日本人の悲しい現状 いとうせいこう×中島岳志対談<後編>
中島:だから、これからは従来型の右/左とは全然違うステージを用意しないといけない。そこにおそらく、これからの政治の核心があると思います。ただ、それをどう名付けるかが難しい。僕は「リベラルな保守」と呼んでいるのですが、なかなか理解してもらえないんですね。
ヒューマニズムが壊れつつある日本
いとう:僕は「ヒューマニズムに立つ」ことに尽きると考えているんです。難民問題を考えても、「どうして助けなきゃいけないんですか」「自分たちのおカネが減るじゃないですか」という声に対抗してものが言えるとすれば、もうヒューマニズムしかない。
昨年(2017年)、『「国境なき医師団」を見に行く』という本を出しましたが、外国の人たちにとって、ヒューマニティは考えのベースとなっていて、疑うべきものでさえない。けれど日本に帰ってくると、ヒューマニズムって笑われちゃうんですよ。
人権に対する鋭敏な気持ち、差別された者たちや弱者に対する気持ちが普通に湧き上がってこないこと自体が、日本ではヒューマニズムが壊れていることの証拠でしょう。「あの人困ってそうだから助けてみないすか?」という当たり前のことが、いまは電車の中でもない。むしろ、ベビーカーに対して怒る人がいるぐらいです。目の見えない人に対しても、舌打ちしている。電車が自殺者で止まっていることに対して、ものすごくみんながイライラしている。これはとてもいい国とは言えないですよね。
中島:僕もヒューマニティは非常に重要だと思っています。同時に、本来のヒューマニティには、宗教的な感覚があるのではないかとも思っています。
民主党政権はよいこともたくさんやっていますが、根本のところで功利主義によって政策を考えている点に限界がありました。たとえば民主党政権下では、「新しい公共」という言葉を掲げて、お上だけじゃなく市民社会の領域を分厚くしないといけないという議論を提起しましたね。アメリカではボランティアや寄付が盛んですが、日本では普及していない。これをどうにかしないといけないという問題設定自体はいいと思うんですが、どういう結論になったのかといえば、寄付を促すためには税制の優遇だという話になった。そうして優遇制度ができたものの、結局、寄付は増えなかった。
人が他者のために何かをする行為というのは、功利的な行為ではないんですね。そうではなく、ヒューマニティや別の動機づけの上に成り立っている。民主党は、それがわからず、あらゆる政策を功利的な発想によって構成していったんです。