石巻のサバ缶が「希望の缶詰」になった必然 22万缶を蘇らせた経堂の人情ネットワーク

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石巻から経堂に届いた、泥と脂、臭いにまみれた缶詰の数々。夏場、石巻では大量のハエにも悩まされたという。経堂駅近くの居酒屋「さばのゆ」の店頭などで、ボランティアの方々が集まり重曹の入った水につけて洗うと、黄金の缶詰が、次々と顔を出していく。いつしかそれは、「希望の缶詰」と呼ばれるようになった。

重曹の入った水につけて洗うと、黄金の缶詰が、次々と顔を出していく(画像提供:須田康成)

人々を突き動かした「理由」。1つ目は、木の屋石巻水産のサバ缶の美味しさである。この缶詰は、港に揚がってすぐのサバを刺身でも食べられる鮮度のまま、熟練のスタッフが手で詰める「フレッシュパック製法」で作られている。ボランティアの人々に参加した理由を尋ねると、口々に「美味しかったから!」「あの味を忘れられなかったから」と答えたという。

震災の前から、経堂では、飲食店でサバ缶を使用したメニューが提供されるなど、木の屋の缶詰のファンが多かった。それも著者の働きかけによるものだ。震災が発生した3月は、「さば缶・縁景展」という経堂の街ぐるみイベントの期間中だった。著者が育んだ「経堂サバ缶ネットワーク」が、今回の活動を生んだのである。

表紙の写真を見てほしい。前列には、経堂の飲食店の人々がいる。その後ろに、著者が控えめに映っている。その姿から、「あくまで、主役は経堂の人々」というメッセージが、伝わってくる。非常に象徴的な一枚である。

「幸せな日常の光景」こそが「希望」の正体である

私は、何かにのめりこんだ人の人物伝を読むのが好きだ。本書は、それと同じ匂いがした。著者は、経堂という町にのめりこんでいる。そして、各地で「ものづくり」に身を捧げている人々や、そこに息づく「幸せな日常」を愛している。本書から、少しだけ抜粋したい。

“希望の缶詰の希望とは、いったい何だったのだろうか?
その答えらしきものに思い至ったのは、やっと最近のことだ。
何度目かの製造ラインの見学の時だった。  ~本書第5章より”

果たして著者は、そのとき、何を見たのだろうか。これに続く文章、とくに最後の一文を読んだとき、私は涙が止まらなくなった。稲妻に打たれたように、私は著者に共感したのだ。工場で働く人々の「幸せな日常の光景」こそが「希望」の正体であると、彼は断言する。それは、わが街を愛する経堂の人々の日常に通じる。これが、人々を突き動かした2つ目の「理由」だ。

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