丹羽宇一郎選、沖縄戦の悲劇を知る「この1冊」

「怒りに身が震え、涙が止まらなかった」

それほどの酸鼻を極めた戦いだったにもかかわらず、沖縄戦は勝算があって始めた戦いではない。拙著『戦争の大問題』でも詳しく述べているが、日本はマリアナ沖海戦に敗れ、サイパン、テニアンなどの島々を失った段階で万策尽きていた。

旧軍の机上演習では、マリアナ諸島を失った段階で演習は終了、それ以降の戦争は考えていなかったという。サイパン、テニアンを奪われるということは、日本は制海権、制空権を失うこと、すなわち負けを意味していたからだ。マリアナ沖海戦の敗北によって、日本に勝機はなくなった。

だが、ときの政府は終戦に動こうとせず、いたずらに戦争を長引かせ、犠牲者を増やす結果となった。それが、東京大空襲をはじめとする各都市の空襲、広島、長崎の原爆、そして県民の20%を失った沖縄戦である。

政府が終戦、すなわち敗戦を受け入れることを躊躇している間に、沖縄で約10万人、日本全国で80数万人の無辜(むこ)の民が死んだ。それでも政府は戦争終結に動かなかった。そこに作戦などはなく、ただ終戦を決断できぬまま逡巡を重ねていただけにすぎない。

当時の日本政府が、終戦をためらうさまは、バブル崩壊期に多発したように、見たくないものから目を背け、不良債権の処理ができぬまま先送りを重ね、社員や取引先に迷惑をかけ続けている企業の姿に似ている。

本土政府に裏切られ続けた沖縄県民

沖縄の人は、本土から島へ派遣されてきた兵隊たちに好意的だった。現地の人々は、若い兵隊たちに進んで食べ物を与えた。兵隊たちも喜んで県民の厚意を受けた。漁師は、魚を獲っては軍の陣地へ持って行った。

「ワンヤ、軍属ニナタンドー(俺は軍属になったぞ)」と、軍への協力を誇らしげに語る老人もいたという(『奪われた物語』)。

陣地構築、物資運搬は現地の男たちが担った。沖縄根拠地隊司令官であった大田実中将の決戦電文にある「沖縄県民斯く戦えり。県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを」という結びの言葉からも、沖縄の人々がいかに献身的に協力したかがしのばれる。

だが、米軍が上陸し敗色が濃厚になると、軍は村人を守らなかった。兵隊が守るのは村人ではない。兵隊が守るのは軍の命令である。軍が統制を失った後は、兵隊は自分の身を守ることを優先した。

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