丹羽宇一郎選、沖縄戦の悲劇を知る「この1冊」 「怒りに身が震え、涙が止まらなかった」
いまでも、在日米軍基地の総面積の7割以上は沖縄に集中している。われわれは、あまりにも沖縄に犠牲を強いてきた。
沖縄のことをもっと知らなくてはいけない。沖縄戦の犠牲者の話を聞くことでしか、われわれは県民の20%を失うという凄惨な戦争を具体的にイメージする術がない。
求めて戦争体験者の話を聞かねばならない
戦争を知らない世代が、戦争に近づいているように見える。いま日本には、日本は強くなければ他国に侵略され、蹂躙(じゅうりん)される、だから日本はもっと強い武力を持つべきという主張がある。私はこうした主張に強く異を唱える。
沖縄の悲劇は負け戦だったからか。日本軍が強ければ沖縄の人々を救えたのか。こうした問いに対しても、私は否と答える。
力対力では、悲劇を増殖させるだけだ。日本が強ければ、今度は日本軍が他国の人々を犠牲者にすることになる。これは、すでに中国やフィリピンで起きた事実である。大という文字が付こうが付くまいが、虐殺は非道の極みだ。
米軍が、日本軍が、特別なのではない。戦争による非人間性は人類の業である。戦争は人から人間性を奪う。被害者にならなければ、加害者になる。悲劇の加害者であることを強いられる国民も、やはりある種の被害者といえよう。
だから力対力、武力対武力で国際問題を解決するという姿勢では、人類を幸福にする道から遠ざかっていくことになってしまうだろう。
戦争では、結局、国民が犠牲になる。真っ先に犠牲になるのは弱者だ。女性や子どもが犠牲者となる。それが戦争の真実である。戦争に近づいてはいけないのだ。そのためにも、われわれは戦争の真実を知ろうとしないまま、一生を過ごすことがあってはならない。
沖縄の人々が、かつて味わった苦しみ、悲しみ、怒り、絶望をわれわれは知るべきである。沖縄を含め、日本全国にいる戦場体験者、戦災体験者の方々には、戦争を知らない世代が具体的なイメージを持てるよう、つらい思い出をあえてお話ししてくださることを願う。
われわれは、求めて戦争体験者の話を聞かなければいけない。もうわずかしか時間は残されていないのだ。それが、今日、73年前に沖縄戦の始まった3月26日に涙をこらえて私が思うことである。
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