丹羽宇一郎選、沖縄戦の悲劇を知る「この1冊」

「怒りに身が震え、涙が止まらなかった」

私の怒りは、はじめ米兵に向かい、やがて、結果的に国民を見捨てるほかなかったかもしれなかったが、当時の国家に向かっていった。次いで、生きていくことを選択した戦争犠牲者の心情を思い、涙した。

『一九四五年 チムグリサ沖縄』は小説である。だからといって、6編のエピソードを著者の作り話と考えてはならない。確かに本作品のエピソードには、著者が取材した戦争体験者の聞き書きである『奪われた物語』に収録されていないものがある。だが、多くの戦場体験者の話を聞いてきた私にはわかる。本作品の収められた6編のエピソードは作り話では表現できない血の流れる実話から生まれたものだ。

体験者には、話したくない、話せないことがある。体験者は突然、無口になる。本当は思い出したくない、言えない真実のあることが私にもわかる。本作品の著者は、彼ら体験者が語れなかった言葉と思いをくみ取り、体験者に迷惑をかけたり、傷つけたりしないように小説という形で世に著したのであろう。

本作品は、著者の筆を借りて語られた犠牲者たちの肉声である。私は、この本をそう読んだ。だから、怒りと涙が止まらなかったのである。

終戦の先送りの犠牲者たち

今日、3月26日は1945(昭和20)年に沖縄戦の始まった日である。沖縄戦はこの日から6月23日まで、ほぼ3カ月間続いた。6月23日は現在「沖縄慰霊の日」となっている。

沖縄戦で亡くなった日本人の数は、兵隊と民間人を合わせ約19万人、アメリカ兵の死者は約1万3000人とされている(沖縄県援護課発表)。日本人の死者のうち、およそ半数の約10万人が民間人であるとも言われている。1944(昭和19)年の沖縄県の人口が約49万人とされているので、実に県民の約20%、5人に1人近くが亡くなったのだ。

これは、とんでもない数字である。先の大戦で日本人の死者数(軍人、民間人の死者の合計)は、1940(昭和15)年の日本の人口に対する比率で見れば約4%程度、民間人だけであれば1%超だ。それを考えれば沖縄県民の20%という数字が、どれだけ悲惨なものか想像に難くない。

沖縄は硫黄島を超える激戦の地となった。沖縄県民は文字どおり塗炭の苦しみを味わったのである。

次ページ勝算があって始めた戦いではない
キャリア・教育の人気記事
トピックボードAD
関連記事
  • あの日のジョブズは
  • コロナ後を生き抜く
  • 自衛隊員も学ぶ!メンタルチューニング
  • ポストコロナのメガ地経学ーパワー・バランス/世界秩序/文明
トレンドライブラリーAD
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
トレンドウォッチAD
スペシャルインタビュー<br>元ラグビー日本代表・畠山健介

今年から米メジャーリーグ・ラグビーのチームに所属、華やかな選手生活とは裏腹に幾多の葛藤を乗り越えてきた畠山選手。「ラグビーファンの拡大には、リーグのプロ化が不可欠だ」。新天地にいる今だから見えてきた日本ラグビー改革論を熱く語ります。