51歳、栃木で「生姜の展示館」作った男の稼業 「岩下の新生姜」はだから若者にも愛される

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「ツイッターをヘビーに利用するようになったのは2011年以降ですね。エゴサーチ(自分の名前や自社の会社名や商品名を検索する行為)してみると毎日20人くらいの人が岩下の新生姜のことを『おいしい』『好きだ』と言ってくれていました。単純にとてもうれしかったです。どうしてもお礼の言葉を返したくなりました」

そして1人にお礼のリプライ(返信)を書いた。1人書いてしまったんだからと、それからは全員にお礼を書いた。

社長のお礼効果もあって“岩下の新生姜”についてつぶやく人は10~20倍に増えていった。現在ではさすがに全員にリプライは書けなくなったが、いいねを押したり、リツイートしたりしている。

「『好きだ』という気持ちをわざわざ人に伝えてもらっているわけです。それはとてもありがたいことで、そういう気持ちに対しては恩返しがしたいです。

ツイッター上ではさまざまなアイデアをいただくこともあります。それらは、なるべく実現させたいと思っています。

その恩返しの最たるものが『岩下の新生姜ミュージアム』ですね」

恩返しをしたいと思って作った施設

岩下の新生姜ミュージアムはもともと、父親が館長を務める私設美術館だった。

「父親は後年美術品の収集に夢中になってしまったんですね。収集品の置き場に困って、もともと建設会社の本社があった建物を買い取って美術館に改装しました」

岩下の新生姜ミュージアム(筆者撮影)

前社長が館長を務めたのは、会社ではなく美術館を中心に活動することで、岩下社長が会社内で父親の目を気にすることなく活動しやすくなるよう気を遣ったのかもしれない。

10年ほど館長を務めたとき、ガンにおかされていることがわかった。前社長はすべての美術品を売却することにした。

「父は根が商売人なので、どうせなら全部まとめて売却したほうがおカネになりやすいという発想だったんでしょうね。ただし、多くの美術品はバブル期に買い集めたものだったので、結果的には大損しました」

美術品を売り終えて、美術館は空になった。中身のない美術館に意味はない。維持費もかかるので売却しようと考えていたが、母親から意外な話を聞かされた。

「自分の人生の後半は美術品におカネをかけすぎて失敗だったな。結果的に美術品も全部なくなってしまったし。ただ、美術館だけは残ったな」

と母に語っていたという。

「『美術館だけは残った』と思っていたと知って驚きました。とはいえ、中身がなくては展示はできません。ということは父は『この場所で新たに何かやれ』と言っているのかな?と思いました」

それならば、やることにした。

岩下社長にはやりたいと思っていたことがいくつかあった。それらをまとめてこの場所でやれないか?と考えた。

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