米倉誠一郎「幕末人はこんなに創造的だった」 砲術家・高島秋帆のクリエイティビティ

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僕は、歴史には客観的な史実は存在しないと思っています。ある対象を選んだ時点で歴史家のバイアスがかかってしまう主観的なものなのです。学生時代に『ハーメルンの笛吹き男』の研究などで知られる西洋史家の阿部謹也先生に、「先生の本は面白いですね」と伝えたところ、「そうでしょう。だって、誰も見たことがないんだから」と返され、とても感銘を受けたことを覚えています。

最近、日本って創造的ではないよね、とよく聞きます。外国からだけでなく、僕たち自らもこう言っています。僕はそんなことはないと断言したい。それを、この本で取り上げる先人の偉業から知っていただきたいと思います。

アヘン戦争と林則徐

今回は、高島秋帆と開国について紹介しますが、世界史における幕末・明治維新を見る上で欠かせない前史として、隣の清国と大英帝国とで起きたアヘン戦争(1840~1842年)について説明させてください。

歴史の教科書では、三角貿易の話が出てきます。大英帝国はインド産のアヘンを中国に輸出し、その代金を茶などの中国物産の輸入に充てるというものでした。これによって、清は銀の大量流出という財政問題に加えて、アヘンによる腐敗、堕落、犯罪増加など、深刻な社会問題を抱えていました。

林則徐はアヘン根絶に尽力したが、その後の偉大な功績はあまり知られていない(出所:Dr. Meierhofer in German Wikipedia [Public domain],ウィキメディア・コモンズ経由)

ここで登場するのが、林則徐(1785~1850年)です。林は福建省の貧しい教師の子として生まれ、27歳で科挙に合格したという相当なエリートでした。彼は順調に出世し、アヘン根絶のために大きな実績をあげていきます。1839年には欽差大臣として、アヘン禁輸措置を決め、その押収廃棄を実行しました。

大英帝国は、この事態を自由貿易に対する侵害行為として、宣戦布告しました。アヘン戦争は歴史上、最も大義のない戦争でもありました。大英帝国議会では激論が起こり、わずか9票差で開戦が決定されたほどです。

清朝政府は惨敗し、多額の賠償金、香港の割譲、上海などの開港を余儀なくされ、鎖国政策を変更させられました。その後、林はアヘン戦争の責任を取らされる形で新疆ウイグルに左遷され、開墾や治水において善政を実施し、多くの住民から慕われました。

この林の左遷は日本にとって大きな幸運でした。林は、西洋に対峙するためには、武力に加えて西洋事情に関する理論武装を進める必要を痛感し、膨大な外書を収集・翻訳させます。その1つが魏源の訳した『四洲志』であり、魏源は、その訳書をベースに世界の地理情報を収集して『海国図志』という100巻の大著をまとめ上げました。

『海国図志』など、林が次々に出版した西洋文献は日本にも流れて、佐久間象山や吉田松陰ら、幕末知識人の重要な知的ソースになります。松下村塾で高杉晋作はこの蔵書に接して運命を変えたといわれています。

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