その共同記者会見の放映をリアルタイムで見ていたが、韓国の文大統領に対しては、記者団から厳しい質問はまったくなかった。儀礼的に不公平な感じは否めなかった。そんな失礼とも思える質問を横目に、韓国の文大統領はただ静かに笑っているだけで、その答えをトランプ大統領に政治的に押し付けた格好になっていた。
ところが、トランプ大統領は慌てず騒がず、その質問に対して、丁寧に答えていた。その記者に対する接し方や間の取り方は、ごく自然であり、そこにはアジア系人種差別はまったくなかった。
ウォール街は、昔も今も「メディア嫌い」
将来、アジア系の人物が米国大統領になる時代がくるかもしれない。ひょっとすると、その道筋をつけた大統領として、トランプ氏の名前が歴史的な存在として語り継がれることもあり得よう。
アジア系の米大統領が出現するという話は、まだ先のことだが、今回、トランプ大統領が北朝鮮からの脱北者を讃えたことで、米メディアが忘れているアジア系の人たちの存在を際立たせつつある。アジア人の存在を見直すような論争が、米国でも現実に巻き起こりつつある。論争を巻き起こすのは、「ディールの天才」であるトランプ大統領の傑出した才能の一つでもある。
「論争こそが、米国パワーの源泉だ」という米国の伝統を、米メディアはすっかり忘れてしまっている。ハリウッド支配の米メディアの一部は、アジア人への差別意識に安住し、白人至上主義という「米メディア内の既得権益」を守ろうとしている。その点において、論争の仲介役としての適格性を失ってきている。にもかかわらず、自省が欠如している。
この21世紀、「アジアの時代」は確実にきている。それなのに「時代錯誤な旧習とバイアス」を業界内にもつ米メディアは、自己改革のエネルギーをほとんど失っているのではないか。
凋落するハリウッド支配型メディアを批判する声は、トランプ大統領に限らない。全米で広く強くなってきている。一般論として米メディアは「国際的な説得力の失速」傾向を全体的に帯びてきている。残念ながら、構造不況産業への道を着実にたどりつつあると分析することができる。
長年、筆者が働いてきたウォール街は、米国の「パワーとマネーの中心」であり、その威力はいまも変わらない。そのウォール街は、昔も今も「メディア嫌い」で通っている。ウォール街とメディアとは、いわば「水と油」の関係であり、お互いに相いれない。そういう関係があるににしても、米メディアのパワー減少傾向に歯止めがかからないというのは由々しき問題のように感じられる。
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