6年間妻を介護した岩本恭生氏の「壮絶生活」 小室哲哉氏に共感するのには理由がある
小室は妻との離婚を考えてはいないが、コミュニケーションが成立しない切なさは耐え難いものだろう。
岩本は小室にとってAさんの存在が救いになっていたのではないかと想像する。
「KEIKOさんの全快を望みに介護をしていたはずです。それが難しいと気づいたときに、心の支えにしていたのがAさんだったのでは。彼がやっと手に入れた“心の杖”がなくなってしまったら、立って歩けないのでは、と僕は思ってしまいました。
介護をしていた身からすると、見て見ぬふりをしていてほしかったな、と思います」
KEIKOは大好きだった音楽にも興味をなくしてしまったという。再び歌手として歌うことを望んでいた小室には、寂しすぎる状況だ。
「彼女本人には、そういった愚痴を言えるはずはないし、以前のような会話もままならない。どこかに救いを求めたくなるのはわかります」
岩本が自分を保っていられたのは、介護を助けてくれる存在があったからだ。
何が「救い」になったのか
「介護の大変さをわかってくれる、2つ上の姉がいたんです。一緒に子どもを可愛がってくれて、妻の入院中に世話を手伝ってくれたりしました。
妻が入院している間は、病院からの帰り道に毎日のように電話して、愚痴を聞いてもらいました。子どもには聞かせられないような話を姉に聞いてもらうことで、ガス抜きができていた気がします」
小室は2年前、自らもC型肝炎になっていることを知った。闘病しながら介護を続けるうちに、弱気になってしまったのだろうか。
「僕が小室さんに共感しすぎて美化してしまっているのかもしれません。でも行動はともかく、僕は小室さんの気持ちがわかります。
僕の場合は夫婦だった思い出や子どもたちのため、という思いを一生懸命、集めて“自分がかつて愛した奥さんではない状態の妻”と向き合っていました。でも、そうするほかない状況だったんです」
KEIKOは、小学4年生の漢字ドリルが楽しいようだ、と小室は話した。大人の女性としてのコミュニケーションはできない。3年ほど前から疲れ果ててしまっていたという小室の告白に、岩本は共感したという。
「今まで妻だった人が僕の奥さんではなくなるし、子どものお母さんでもなくなってしまう。何ものでもない存在になってしまうんです。
それほど関係性が変わってしまうので、当たり前の“夫婦”でいることはとても難しいんですよ」
岩本は、姉の支えや子どもの存在があったから、平静でいられた。
前出の露木氏はこう語る。
「介護をしていると、相手に優しくなれない自分を追い詰めてしまうことがあります。万が一、介護しているパートナーとうまくいかなくても、介護は誰かが継続します。だから、思い詰めすぎないでほしいものですね」
小室の行為が誤解を招いたことは確かだが、彼は想像もできないほどの孤独と闘っていたのかもしれない。
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