日本は今、明治維新と敗戦後に続く第3の開国の時期を迎えています。明治維新と敗戦。この二つの出来事は、閉じた状態から脱し、海外の知識や技術を吸収し、開放型の経済への転換を意味していました。そして現在です。冷戦が終わり東西の壁がなくなり、新興諸国を含め世界は単一の市場経済の下で競争をしている。日本もグローバル化に合うように制度を改革し、この流れに加わり飛躍していかなければなりません。
ところが日本はそうした国際化の流れをきちんと認識していないようです。世界貿易機関での農業をめぐる交渉や、外国からの労働力や資本の受け入れは、十分に進んでいません。構造改革は道半ばで、従来の産業構造や規制を残したまま、中途半端な国際化でお茶を濁している。国民の中にもグローバル化へのおそれが、漠然とあるように見えます。
戦後の日本経済は国際化に対応することでうまく成長したのに、一定レベルに達すると、いつの間にか排他的になって国際化のテンポが遅れています。少しばかり暴論を承知で言えば、この夏の北京五輪で日本選手が予想以上に苦戦したことと似ているように思います。世界のレベルが上がっていることへの認識が足りないのではないでしょうか。経済や社会が大きく変貌しているのに、それに気づいていません。
適切なマクロ政策を行うのは政府の役割
ただしグローバリゼーションでの競争は必然的に勝者と敗者を分けます。同じ国の中でも市場競争を通じて、富む者と富まざる者が出てきます。誰もが公正な競争に参加できるような市場を作ると同時に、失敗した人や働けなくなった人へのセーフティネットを政府は用意する必要があります。
この数年、日本では市場主義がまるで万能であるかのごとく喧伝され、政府の役割が軽視されてきました。市場経済は優れた制度ですが、すべてを解決できるわけでありません。医療制度が危機に瀕しているのは、市場主義だけではうまくいかないことの何よりの証左でしょう。
経済の主体として、個人や企業の役割はこれまで以上に増してきます。上からの統制を受けたり指示されたりするような経済では具合が悪いし、市場競争で負けてしまう。しかし政府が何もしないでいいということではありません。景気変動を小さくし、雇用を保つために、適切なマクロ政策を行うのは政府の役割です。透明で効率的であることは大前提ですが、公的部門の適切な活動はぜひとも必要です。
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