エコノミストは謙虚であれ エコノミスト・宮崎勇氏④

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みやざき・いさむ 1923年生まれ。東京帝大経済学部在学中に学徒動員。47年同学部卒、経済安定本部に入る。80年経済企画庁事務次官で退官。82年大和証券経済研究所(現大和総研)理事長、95年経企庁長官(村山内閣)。その後、大和総研特別顧問などを経る。

経世済民という言葉を知ったのは旧制佐賀高校の時代です。経済というのは世の中を治め、人々の苦しみを救うことだと。経済を通じて世の中に貢献したいと考え、エコノミストを志しました。

 戦後の復興から始まり、近年のバブルの発生と崩壊、そしてグローバル経済への対応等々、政策形成の現場やその周辺にいたことは非常に恵まれていました。私は現役を退いた身ですが、次の世代のエコノミストに望むことは何か。それは事実に対して謙虚になれ、ということです。

思い出すのは香港返還(1997年)をめぐっての評論です。このとき、返還後の香港の先行きについて中国に詳しい政治学者やエコノミストの間では、悲観的、辛口の見方が大勢でした。一国家二体制などうまくいくはずがないという意見が有力でした。ところが実際はどうでしょう。香港は深圳と一体となって発展し、中国経済を牽引してきました。これについての弁明は、中国専門家からはあまり聞かれませんでした。

間違った場合、なぜそうなったかを検証してほしい

自己批判すれば、私も数々の判断ミスを犯しています。池田(勇人)総理のブレーンだった下村治さんが予見しそのとおりに実現させた60年代の高度成長。私は経済企画庁にいながら、毎年10%以上の成長をするなんて到底不可能だと思っていました。また、90年代にたびたび実施された経済対策も、期待したほど十分な効果を上げませんでした。ただし世間には誤解があるようですが、私が経企庁長官を務めていた95年後半には一時的にせよ景気が上向きかけた。これは統計でもはっきり出ています。が、公共投資の効率性、透明性を見誤ったことは否定できません。

エコノミストは予測するのが仕事ですから、間違うこともあります。でも間違った場合、なぜそうなったかを検証してほしい。その点、武者陵司さんはどこで判断ミスをしたか説明をしています。ああした姿勢は潔いと思いますね。

エコノミストは社会的な責任があります。政策に影響を及ぼすこともある。専門家であるからこそ、人々はその意見や主張に耳を傾けてくれます。それだけにその責任は重大です。サブプライムローン問題にしても、顕在化してからすでに1年余り。当初、政府当局者やエコノミストたちは、影響は軽微で問題はすぐに片付くと事態を甘く見ていました。今年の後半には日本経済はもっと回復しているはずでした。なぜ間違ったのでしょう。今こそ真摯な態度が必要だと思いますね。

週刊東洋経済編集部
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