ロヒンギャの惨劇、彼らはどう殺害されたか 終わりの見えない「浄化作戦」

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国連はこれまでもミャンマー軍が虐殺を行っていると非難し、米国政府は同国での民族浄化を制止する行動を呼びかけている。一方、ミャンマー側はこうした「浄化作戦」はロヒンギャ反政府勢力による攻撃に対する合法的な対抗策だと繰り返している。

ロヒンギャたちにとって、ラカイン地域はこれまで何世紀にもわたり自分たちが住み続けてきた場所だった。しかし、ミャンマー人の多くは、彼らをバングラデシュからやってきたイスラム系の招かれざる移民とみなし、軍はロヒンギャたちを「ベンガル人」と呼ぶ。

こうした対立はここ何年かの間に激しさを増し、ミャンマー政府は10万人以上のロヒンギャたちを食糧も医薬品も教育も十分に提供されないキャンプに閉じ込めてきた。

食い違う現場と政府の証言

インディン村の惨劇はどのように起きたのか。ロイターは事件への関与を告白した仏教徒の村民たちに接触し、ロヒンギャたちの家屋への放火、殺害、死体の遺棄についての初めての証言を得た。証言からは軍の兵士や武装警察官が関係していたことも明らかになった。

村に住む長老の仏教徒からは3枚の写真を渡された。そこには9月1日の夕刻、ロヒンギャたちが兵士に拘束され、翌2日の午前10時過ぎに処刑されるまでの決定的な瞬間が写し出されていた。

ロイターが事件の調査を続ける中、警察当局は12月12日、同社記者であるWa LoneとKyaw Soe Ooの2人を逮捕した。ラカインに関する機密情報を入手したという容疑だった。そして、年が明けた1月10日、軍はロイターによる報道内容をある部分で確認する声明を出した。インディン村において、10人のロヒンギャ住民が虐殺されたことを認める発表だった。

しかし、軍が示した説明は、いくつかの重要な点で、事件を目撃したラカインの仏教徒やロヒンギャたちがロイターに提供した証言と食い違ってる。

軍側は殺された10人を治安当局に攻撃を仕掛けた「200人のテロリスト」の一味であると決めつけた。しかし、村の仏教徒住民はロイターに対し、インディン村において、大勢の反乱分子よる治安部隊への攻撃は全くなかったと明言している。そして、ロヒンギャの目撃者によると、その10人は近くの浜辺に避難していたロヒンギャたちから引き抜かれるように連行されていった人たちだった。

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