宮邸は外務大臣公邸や国の迎賓館として用いられた後、西武鉄道の所有となる。同社傘下で白金プリンス迎賓館となり、ホテル新館の建設が計画されたが周辺住民の反対などがあり中止。その後、この土地は東京都に売却され、東京都の迎賓館になった後に東京都庭園美術館となる。かつての主・朝香宮が93歳で亡くなったのは1981年で、その直後のことだった。
この建物がアール・デコの館となったのは、フランスに留学中だった朝香宮が1925年に開催された国際博覧会=アール・デコ博を夫妻で訪問し、そのデザインに魅了されたことによる。それまで高輪にあった朝香宮邸は関東大震災(1923年)で被災し、新たな邸の建設を計画していた時だった。
アール・デコとは1920年代前後のヨーロッパで流行した装飾様式で、直線と立体による構成や幾何学模様を特徴とし、工芸、建築、ファッションなどの多分野に影響を与えた。
朝香宮邸では夫妻の強い要望で、アール・デコ博で数々のパビリオンを手がけたアンリ・ラパンが1階の大広間や客室、大食堂などの主要な部屋と、2階の殿下書斎、居間のデザインを担当。ラパンは、ガラス工芸家ルネ・ラリック作のレリーフやシャンデリア、マックス・アングラン作のエッチングガラス扉など当時活躍中のアーティストたちの作品をふんだんに用いて室内を装飾し、建物自体が美術品と言える邸宅となった。
現代アートの企画展も開催
庭園美術館では毎回、趣向を凝らした企画展を開催、この建物の魅力を掘り下げ、伝えている。また他の企画展も、現代美術やフランスの工芸など、この美術館の空間とのコラボレーション効果のあるものや、ミスマッチ的な面白さがあるものが多く、アール・デコの空間とアートとの相乗効果を楽しめる場ともなっている。
そしてここは“庭園美術館”と言われるだけあって、建物を囲む広大な庭があり、建物とマッチした芝庭、茶室などを配した日本庭園もある。隣には国立科学博物館付属の自然教育園が続いていて、豊かな自然を抱く都心のオアシスともなっている。
この美しい館を実現させた裏方に、宮内省内匠寮(たくみりょう)という存在がある。朝香宮邸というと常にラパン、ラリックという名前を挙げて語られることが多いのだが、建物の外観やラパンがデザインした以外の部屋のデザイン、そしてアール・デコの館として全体をまとめる役割は宮内省内匠寮の権藤要吉らが担当した。
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