48歳で課長になれなかった男の「以後の人生」 まさかの英会話スクール通い、そして……

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それから数年が経ったある日。僕も転職して仕事が忙しく、なかなか連絡が取れていなかったのだけれど、椎名さんの「海外駐在」が決まったと人づてに聞いた。場所はカリフォルニア、待遇は「事業部長」とのこと。これを聞いて僕は震えた。

椎名さんは、いつも「課長になりたい」と言っていたと書いたけれど、あともう一つ「駐在したい」ともよく言っていた。新人だった僕は、正直なところ、いい歳してなんでそんなこと言うんだろうと思っていた。

望んだものを「彼のやり方」でつかみとった

でも、椎名さんは、決してあきらめずに、誠実に仕事をしつづけて、英語も真剣に学んで身につけ、そして50歳を目前にしたところで長く勤めた大企業を辞めるというリスクも取った。その結果として、彼は自分が人生で心の底から欲しいと望んだものを「彼のやり方」でつかみとったのだ。

一昨年、椎名さんとFacebookで繋がった。私からメッセージを送るとすぐ返事があった。

「とくさん、メッセージありがとうございます。そうなんです。今度の3月でカリフォルニア在住丸6年になります。今や日本より暮らしやすいと感じます」

僕がシリコンバレーが本社の会社に転職して本社がサンノゼにあると伝えると、こんな返信がまたすぐ返ってきた。

「それはそれは! すばらしい! シリコンバレーは私たちの生活圏内です。その節は是非私のメールに連絡ください。とくさんのことだから、そのうち本社に転勤になって、アメリカの永住権も取ったらいいよ。よい年になりそうですね!」

真面目で、人のことをいつも気づかっていて、笑顔を絶やさない椎名さんには、カリフォルニアの美しく輝く太陽はよく似合う。彼のことを思い出すたびに、僕の人生はまだまだこれから楽しくできるよなと改めて思う。

とくさん 外資系IT企業 管理本部長

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とくさん

1976年生まれ。新卒で国内大手精密機器メーカーに入社し、新規事業の海外営業として米国、欧州、アジア、中東の顧客を広く担当。新規販路の開拓で中国事業を10倍以上に拡大させた。

その後、外資系IT企業にコンサルタントとして入社。営業戦略の構築、組織モデルの設計などを経験後、経営管理部門に異動。COOおよびCFOのもと戦略構築から計数管理までを担い、数千億円の売上規模を誇る事業の大規模なターンアラウンドに深く貢献。上海駐在も経験し、多国籍の経営陣のもと日本向け事業の拡大をリード。

現在はシリコンバレーに本社のある外資系IT企業の管理本部長として、経営企画から管理、財務、プロセスマネジメントまで幅広く担当。「経営参謀」として事業を牽引し、入社後の2年半で担当事業は2.5倍に成長している。

Twitter @nori76

ブログ 「グローバル経営の極北」

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