48歳で課長になれなかった男の「以後の人生」

まさかの英会話スクール通い、そして……

では、こんな椎名さんはそのあと念願の課長になれただろうか? 結論からいうと……なれなかった。

その新規事業は急速に成長したものの、競合も一気に参入し、価格競争が激化。結局その関連事業とともに他社に売却されてしまった。椎名さんは他部門へ異動になった。異動先は「知的財産部」で、役職はもちろん「課長代理」。入社以来ずっと営業だった彼は、突然全く畑違いの部門で働くことになって戸惑っていた。

それでも、椎名さんはここでも持ち前の生真面目さで法律の勉強を始めていた。会社で偶然会った時に、いつもの穏やかな語り口で、部署の様子を教えてくれた。

「まわりの若い人がみな優秀でね。法律だけでなく技術にも詳しくて、いやあ立派なもんだよ。毎日必死に勉強しているんだけどね、果たして追いつけるかなあ」

こう話す椎名さんは、ここでも、いつものように自分なりのペースで、自分がやれることを誠実にこなそうとしていた。ただ、やはり営業で身につけた知識や経験が活かせない部門での仕事は、大変そうで、本人もその壁の高さにやや尻込みしているようにも見えた。

「課長」として転職をした先は…

そして、異動して1年が経ったころ、彼はある決断を下す。25年近く勤めたそのメーカーを退職して、非上場の小さなメーカーに転職したのだ。海外営業部門の「課長」として。昔同じ部門で上司だった人に誘われたらしかった。

椎名さんが少し興奮した調子で話してくれた。「非上場で有名ではないけど、その分野では圧倒的なトップシェアでね。世の中にはまだまだ知られてない立派な会社があるもんだとわくわくしたよ。『管理職になれる』チャンスだしね」

もといたメーカーは曲がりなりにも大企業で、椎名さんもその会社を愛していた。そこから、いくらトップシェアの事業を持っていても、そして「課長」になれるとしても、一般的には知られていない小さな会社に移ったことを僕は正直心配していた。しかもすでに年齢は50歳近く。新しい挑戦は素晴らしいけれど、誰の目からみてもそのリスクが高いことは明らかだった。

実際、しばらくして事業部長の定年を祝う会で久々に会った椎名さんは、顔色も悪く疲れきった様子で、とても大変そうだった。

「いやー大変だよ。徹夜して資料作ることも多くてね。この歳できついよ。いやーほんと大変だ」と、昔から変わらない、真面目さのにじみ出る調子で話していた。

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