48歳で課長になれなかった男の「以後の人生」 まさかの英会話スクール通い、そして……

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おいおい新人をつかまえてなにを言うんですか、という感じだけれど、これには背景がある。僕のいた新規事業は、エース人材というよりも、各部署でうまく活躍できていなかった人たちが多く集められていた。それでも、開発部門が画期的な技術をベースに世界的に競争力のある商品を生み出していたし、事業部長の事業にかける情熱はすさまじいものがあったので、うまく成長軌道にのって売り上げは倍々ゲームの形で伸びていた。
そうすると、会社側も期待し始める。主流部門から人が異動し始めてきて、そこには椎名さんの同期も数人いた。その同期はみな「課長」だった。

椎名さんは、あからさまな野心を見せる人ではなかったけれど、これはさすがに悔しかったのだろうと思う。椎名さんは毎晩遅くまで商社のために資料を作り、海外出張して商品の魅力を顧客に必死に語り、事業の拡大に献身的ともいえる努力をしていた。そして、大きな実績も残していた。なのに、結局よその部署から来た同期は、課長として彼の「上司」になっていた。

「課長になりたい」というボヤキはそんなところから来ていたのだと思う。でも、椎名さんは、それで腐ったりはせずに、持ち前の真面目さ(と不器用さ)で毎日仕事に向き合っていた。

印象に残っているのは

ひとつ今でも印象に残っているのは、彼が真剣に英語を勉強し始めた時のこと。

椎名さんは英語が好きで、昔からこつこつ勉強していたようだったけれど、はっきりいって仕事で使うレベルからはほど遠かった。僕は1年間アメリカの大学に交換留学に行っていたので、彼に英語の資料チェックを頼まれることがあった。確認してみると、全部自分で書きなおしたほうが早いくらいだった。

椎名さんも、自分の英語が仕事で使うレベルに達していないことは、自覚していた。

「このまえ直してくれた資料をお客さんに持っていったら、いきなり英語がうまくなりましたね?って言われちゃったよ。私の英語がいかにダメかわかったよ、ははは」と、人懐っこい笑顔で彼が話してくれたことをよく覚えている。

海外の顧客との商談も増えていた椎名さんはここで一念発起し、英会話学校に通い始めた。ある日「英会話学校どうですか?」と聞いてみると、いつもの調子で頭をかきながら、

「いやー大変だよ。宿題が本当に多くてね。全部やるのには週末をつぶさなくちゃいけないんだよね」と答えた。

これには本当に驚いた。英会話学校の宿題を完璧にこなして、休まずに講義にきちんと通っている人なんて見たことがなかったから。たいていの人は入学してもちゃんと勉強せずにそのままフェードアウトしていく。でも、椎名さんはこの勉強を1年間休まずに続けて、ライティングだけでなく、スピーキングも格段にうまくなっていた。彼が海外のお客さんと、日本語っぽさが残りつつも前よりずっと流暢に英語を話す姿はちょっと感動的だった。

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