29歳でプロ野球去った男が10年修業で得た力

時給850円でケーキ作りの腕を磨き上げた

次第に頭角を現し、5年目に初勝利を飾る。翌年にひざを故障するも、1999年には30試合に登板し防御率2.20の好成績を残す。しかし、プロ10年目を迎えた2000年、2軍にいた小林のもとへ、ついに通告が来る。

「試合前だったかな、後だったかな。直接、来季は契約しない、と」。元より覚悟は毎年していた。すぐに現役続行の意思を伝え、自らのツテをたどり、千葉ロッテマリーンズの入団テストを受けて合格。「高校時代を過ごした千葉で、そして、また野球ができるという喜び。ドラフト指名のときより、うれしかった」

新天地で開幕1軍入りを果たすも…

小林敦司(こばやし あつし)/1972年生まれ。東京都出身。拓大紅陵高校から1990年のドラフト5位で広島東洋カープに入団。1999年には30試合に登板、防御率2.20を記録するなど、リリーフとして活躍。当時巨人に在籍していた清原和博氏の頭部に死球をあて、同氏が激高する「事件」もあった。2000年オフに戦力外通告を受けるが、入団テストを経て千葉ロッテマリーンズへ移籍。翌年再び戦力外通告を受けて引退。10年間の修業期間を経て、2011年4月に東京・代官山でカフェダイニングを開く。店内にはテレビ番組の企画で同店を訪れた清原氏の写真が飾られている(撮影:小平 尚典)

新天地では見事開幕1軍入りを果たすも、結局わずか6試合の登板に終わる。そして2001年10月、家にいる小林の電話が鳴った。

「明日、寮で話をしたい」

目の前で話をしているのが誰なのかも定かではない。来季の契約をしないことを告げられると、トライアウトに向け始動。現役続行へ向けて練習を続けたが、この期間に肩を故障。歯を磨くこともできないほど悪化した。

1週間まったくボールを投げず、ぶっつけ本番でトライアウトに臨んだ。登板に備えたキャッチボールの1球目、ボールは無情にも相手に届かなかった。まったく上がらない肩を見つめ、小林はここで野球人生にピリオドを打った。

29歳。赤坂で料亭を営む父親の後を継ぐことを決め、修業に入る。皿洗いなどをこなしながら、2年半ほどが経過。修業の身ではあるが、そこはやはり父と子。しだいに緊張感がなくなっていく関係性に危機感を覚えていた。

「このままではいけない、なにかまったく違うことをやろうと思った」

カフェをやりたいという母親の力になればいいと、ケーキ作りの修業の道を選ぶ。数多あるバイト求人の中から、タルトとケーキの名門・キルフェボンでアルバイトする道を選ぶ。

入店初日から体験したことのない激務をこなすことになる。始発から終電間際まで、20歳そこそこの女性アルバイトに怒られながら、生地を作る工程をひたすら繰り返す日々。

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