今も、学生たちとの交流にはやりがいを感じている。1年生のときに教えた学生が後に卒論のアドバイスを求めて訪ねてきたときはうれしかったし、担当するクラスの学生が企画する合宿には何とか費用を捻出して参加するようにしている。
若いときに抱いた夢は何とか実現できていると思う一方で、遠隔地で開かれる学会は欠席せざるをえないこともあるし、研究に必要な書籍の購入がままならないこともある。母親の介護や自身の老後のことを考えると気が滅入る一方だ。
「この詩が今の私の心境です」
別れ際、ススムさんが迷った末にコートのポケットから1枚の紙を取り出し、手渡してくれた。そこには1編の漢詩が書かれていた。
読尽詩書五六担
老来方得一青衫
佳人問我年多少
五十年前二十三
大量の書物を読み尽くし、老いさらばえてやっと下っ端役人になれた。美しい女性に年齢を聞かれたら、50年前には23歳だったと答えよう――。中国・南宋の詹義(せんぎ)という人が結婚もせずに必死に勉強して、70歳を超える高齢になってようやく科挙に合格したとき、わが身を自嘲して作った詩だという。
私はまだ若いのだから、専任教員を目指してもう少し頑張るつもりです、という心意気の表明なのか。最初、私は能天気にもそう思った。しかし、ススムさんはあきらめたように「この詩が今の私の心境です」と言った。学んでも、学んでも、食べていくことはできず、ただ老いていくだけ――。詩を通して託されたのは、希望ではなく、哀切極まりない絶望だった。
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