米国の北朝鮮政策を左右する「報告書」の存在 日本の「外交安保」はどうすべきか
そしてこうした分析報告を前提として、米国の国際政治分析者が日本に向き合おうとし始めている気配もある。それは米国が北朝鮮の核保有を前提としたうえで、厳格な相互抑止戦略の実行へと移行する蓋然性が限りなく高まっていることを意味する。
問われる日本の「対外関与」
核抑止理論の骨格についていえば、「考えられないことを考える」という、人間にとって限界のところで成立する「危うさ」を前提としている点が重苦しい。だが、こうした重苦しさが敵にも伝わっていることが、相互抑止の実効には不可欠なのだ。
これを米国と北朝鮮との間で成立すべき関係性として提示すれば、北朝鮮は許されざる敵だが、双方のコミュニケーションには万全が期されなければならないことを意味する。でないと、核の引き金に双方が触れてしまうかもしれない可能性があるからだ。ならば米朝間の国交は開かれていなければならず、いざという場合のコミュニケーション回路も確保されていなければならない。ということは、日本は米朝国交樹立という状況下で、「核化した朝鮮半島」を少なくともとりあえずは前提にせねばならない可能性が高くなったのだ。
日本での受け止め方は3つある。第1の受け止め方は、最悪の複数のケースは回避できたとするものだ。まず北朝鮮のミサイルによる日本破壊は回避できた。第2次世界大戦後はじめて「警報(Jアラート)」が発せられる状況となったが、これを外交上の課題に塗り替えることができたことへの安堵である。
続いては、米軍の東アジアへの関与の継続が確認されたことだ。CRS報告書にあるように、朝鮮半島からの米軍の撤退というケースは、論じうる程度には存在する。もしこうした展開になれば、東アジアにおける次のシアターでも、米軍撤収の可能性は高まることが考えられよう。
第2の受け止め方は、日本も核武装を、という考え方の登場である。核兵器による攻撃を受けた唯一の国家として、非核への熱い思いが根強くあるにもかかわらず、核保有を通じての安保という声が強まらない保証はない。核武装が日本外交を打開する鍵とは到底位置づけられないにもかかわらず、日本の選択の「状況化」とでも呼ぶべき事態がないとは、誰も断言できないのだ。
第3の受け止め方は、第1の安堵でもなく、第2の「状況化」でもない、構造的な外交・安保の政策づくりの必要性、切迫性の認識の広がりである。中国やロシアの動向を修正主義と呼ぶかどうかは別として、2つの巨大隣国の動向には注意深い観察が必要だ。こうした状況に朝鮮半島の核化が加われば、日本にとっての外交、安保政策は、日本の世界への関与姿勢の総体にかかわって提示されねばならないものにならざるを得ない。
明治維新からちょうど150年という節目で、日本は自らの対外関与の総体を問う、という局面に立ったといえよう。
(文:田中直毅)
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