アフリカはシェアリング経済の本拠地だった 今のコンピュータにはアフリカが足りない!

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山田:たしかに高い経済成長をしている点が注目されましたね。2010年の『週刊東洋経済』新年号の特集<アフリカの衝撃>は、サブタイトルが<徹底解明!地球最後の新興市場>でした。

吉川:1つ言えるのは、思想して考えているアフリカ人は、自分のイメージの中には一度も出てきていないってことです。だから特集のスタート地点は、何かを考えたり、動いたりしている人たちのアフリカはどうなんだろうという素朴な疑問でした。

日本にもアフリカ的なものが必要だ

若林:吉川さんは世代的には『ブッシュマン』という映画をご覧になっていませんか。

(会場に向かって)ニカウさんを知っている人いますか。これは1980年代初頭にはやりました(注:1982年日本公開、現在では『コイサンマン』と改題)。僕が小学生の時にはやったのですが、今、見直すときっと酷いものだと思います。

山田:ステレオタイプのアフリカを描いていましたね。『思想』でも取り上げていらっしゃいますが、ブッシュマンも一度近代化して、銃を離した。

吉川:彼らは現代社会にずっと触れていなかったわけではなくて、触れながらも昔ながらのアフリカを追求してきた、という話が論文にでていますね。

山田:これはとても勉強になりました。幼稚な子どもと大人の対立の仕方、何が進化していて、何が進化していないという考えが、西洋の近世近代の発展のフレームに完全に毒されている。そこから解放する位置として、ひょっとしたらアフリカにいきなり飛ぶよりも、パプアニューギニアの生活と対置してもいいのかもしれませんが、自分たちの生活を見直すための異なる座標軸としてアフリカがあるということだと思うんです。

<思想するアフリカ>とは、われわれを問い直すということなのかなと。他国のことなのではなくて、自分たちのことであり、トランプがガキ大将で、子どもじみていたり、西洋文明が持っているものが上で、それ以外が下であるという考えがアフリカではありえない。むしろ持っていないものが下であるというのはアフリカでは考えられない。持っていない人ほど、堂々と手を出して、「ください!」と言える。これは、今後のシェアリング経済ということを考えたときに参考になるのではないでしょうか。

日本には格差が広がって分断社会になりつつあるという問題がありますが、もう少しアフリカ的なものを1、2滴入れていくと、かなり日本の制度も変わるのではないか。その意味で、かなり自分ごとというか、“日本ごと“なのではないかとも感じました。

吉川:山田さんにまとめていただいて、自分でも初めてわかったような気がします。

若林:最初にブライアン・イーノの話をしましたが、彼が言っているアフリカとは、アフリカ大陸のこともありますが、ブラックカルチャーというものが内包されているように思うんです。アフリカオリジンの、何百年も経つんですが、西洋のカルチャーと混淆していく中で、黒人音楽が僕らも普通に聞いている音楽の基底にあります。特にポップスにですが、そういう意味でアフリカは身近だとイーノは言っています。

ですからパプアニューギニアよりもある意味近いという気はします。僕らはアフリカが遠くてエキゾチックなものだと思っていますが、安室奈美恵の音楽は黒人音楽がなければ存在しません。むろんアムロに限らずですが、同じ地平に乗っているというのはあるのかなあと。僕らはアフリカ発のカルチャーの中にいるんだというのは、解釈によっては言えるのかなと思います。

(構成:高杉公秀)

東洋経済オンライン編集部

ベテランから若手まで個性的な部員がそろう編集部。編集作業が中心だが、もちろん取材もこなします(画像はイメージです)

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