東芝を解体した「哲人」社長、西田厚聡の素顔

運命の出会いは、1973年イラン・ラシュト

西田、佐々木両氏は、伝統的な東芝の社風からは離れた、個性的な人物だ。ここではとくに佐々木氏に触れないが、佐々木氏も「独身を貫き、社長になるまで、母親と2人で都営住宅に住んでいた」(東芝OB)。ビッグビジネスの社長としてはやはり個性派である。

早大卒業後、西田氏は東大で、ドイツの難解哲学者フッサールを学んだことから、内外で”哲人”社長とも呼ばれ、「始めに言葉ありき」という新約聖書のフレーズを普通に語る教養人。まさに哲人社長にふさわしい。

古代ギリシャの哲学者プラトンは、国家の指導者には哲人が望ましいと語るが、その考えは西洋哲学の基調になった。かのカール・マルクスも、来るべき共産主義社会では、哲人が指導者になるべきだと考えた(哲学者ハンナ・アーレントの解釈による)。

「あのとき、イランにいなければ…」

ある東芝OBは「独創的すぎる人物を社長にしてはいけない。せいぜい部長か平取締役まで」と強調する。そして「あのとき、西田氏がイランにいなければ……」と慨嘆する。

歴史に「if」(もし)は許されないし、因果関係が成立するかも疑問だ。だが、あえてここで、西田氏とイラン、東芝との出会いを振り返ってみたい。西田氏はイラン人の夫人を持ち、イラン関係者や日本のイラン研究者、文化愛好家からは「出世頭」として著名だった。

イラン北部カスピ海に面した一帯は、ギーラン地方と呼ばれる。首都テヘランからはエルブルース山脈を越えてギーランに出る。直線距離はそれほどではないが、5000mを超える最高峰を持つエルブルース山脈を、車で曲道をくねって越えることは、かなりの緊張をもたらす。第2次世界大戦中は、米国が(ドイツと戦う)ソ連へ援助物質を運ぶ、主要ルートの1つだった。多くのトラックが谷底に落ちた。

ギーラン地方に入ると、風景はそれまでと一変する。カスピ海に面したギーラン地方は、イランのほかの地方にない、雨の多い湿潤地帯である。稲作が盛んだ。水田と茅葺きの農家があり、日本の農村風景に似ている。

そのギーラン地方の中心都市はラシュト。現在人口64万人の都市である。このラシュトに、イラン政府と東芝のランプ(電球)と扇風機など、電気製品の合弁会社「パールス・東芝」ができたのが、1971年だった。

1963年に始まったシャーの白色革命は、イランの近代化を目指した。その1つに工業化があった。白色革命の理念に共感し、イラン進出を決めたのが、故・土光敏夫氏(1965年から1972年まで東芝社長)だった。パールスとはペルシャという意味である。パールス・東芝の構成は、社長と工場長と課長が日本人、部長はイラン人。そのほかモハンデスと呼ばれたイラン人技術者と日本人技術部があり、それ以外はグループリーダーを含め、全部イラン人だった。ラシュトには日本人30人が住み、小規模ながら日本人社会ができたのである。

パールス・東芝の給料は高く、イラン人にとっては魅力の職場だった。従業員1000人規模で発足した工場に、イラン各地から応募者が集まる。そのパールス・東芝に、1973年に入社した日本人社員がいた。後に東芝社長になる西田氏だ。

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