旅客機開発競争・外伝~職人ボーイングvsハイテク主義エアバス
ジェット旅客機の歴史はそれほど長くはない。世界初のジェット旅客機、イギリスのデハビランドDH106コメットが現在のブリティッシュ・エアウェイズの前身の1社、BOAC(英国海外航空)によってロンドン-ヨハネスブルク間を初就航したのは1952年。その歴史は60年に満たない。同機は翌53年に羽田にも就航した。ロンドン-羽田間で9都市を経由し、所要時間35時間30分、定員は約80席だった。
ところがこのコメット、その直後にイタリアで2回、インドで1回、墜落事故を起こし、運航停止になってしまう。徹底的な調査が行われた結果、予想以上の金属疲労で空中分解していたことがわかった。航空機は上空で与圧され、機体は風船のように離着陸のたびに膨らんだりしぼんだりしている。プロペラ機に比べて高空を飛ぶため、与圧・減圧の度合いも大きく、当時の技術では正確な予測ができなかったのだ。
58年に機体を改修して復帰するが、前年にアメリカのボーイングがコメットの倍の定員のB707を、58年にはダグラスもDC−8を初飛行。航空各社はコメット発注をキャンセルし、アメリカ製機材へと流れた。日本では日本航空がDC−8を60年に導入、「FUJI号」として国際線に就航させている。
時代を動かした747 エアバス必死の巻き返し
ジェット旅客機開発の第一幕はアメリカに軍配が上がるが、ヨーロッパはフランスとイギリスがタッグを組み、69年に超音速旅客機コンコルドを初飛行させる。音速の2倍という夢の超音速機は人々を夢中にさせた。が、いざ実機が完成すると、定員たった100席に対し燃料を浪費し騒音は大きい。長い滑走路が要る、オゾン層も破壊する、などの問題点が浮上し、仮発注していた日本航空も採用を見送った。結局、たった16機の生産で初就航と同じ年に生産を終えてしまう。旅客機ビジネスとしては大赤字の機体であった。
一方ボーイングも69年、B747が初飛行に成功している。やがて世界に普及するこのジャンボ機、そもそも誕生の経緯が変わっている。
発端は米軍の大型輸送機計画。ロッキード案に敗れたボーイングの技術陣が、そのままお蔵入りさせるのはもったいないと、旅客機への転用を計画したのだ。開発が始まった66年当時は最大500席の機体に需要があったわけではない。こんな大きな機体など満席にできない--。世界の航空会社の反応は冷ややかだった。実際、各社の関心は鈍足の747よりもコンコルドに集まった。
しかしこの巨人機計画に唯一賛同した会社があった。当時のパンナムだ。同社は空の大量輸送時代到来を確信、70年にニューヨーク-ロンドン間に就航させる。パンナムがジャンボ機就航に果たした功績は大きかった。その後、コンコルドの失敗もあり受注が拡大、普及したことで1人当たり輸送コストが低下、航空運賃は安くなり、空の旅の大衆化がここで実現したのだ。後に、アメリカでは航空規制緩和法が制定されて航空戦国時代へ突入、パンナムは倒産してしまうのだから皮肉である。
コメット、コンコルドと2連敗を喫したヨーロッパだが、決して手をこまぬいていたわけではない。業界再編の末エアバスが誕生すると、72年に総力を挙げて開発したA300を初飛行させている。アメリカ製に水をあけられていたエアバスは、このとき真っこう勝負を避け、空白エリアだった中型機を狙ったのだ(A300は300人乗りを意味する)。
当初こそおひざ元のヨーロッパ内で使われたが、フランスを中心とした積極的な売り込みが功を奏したほか、コンコルドの失敗から学んだ燃費重視の機体が70年代のオイルショックで注目され、徐々に世界の空へ進出を果たす。敵地アメリカでは、当時大手だったイースタン航空に無償貸与し、結果的に同社から20機以上受注を勝ち取っている。何百機単位で購入する米系メガキャリアを大得意とするボーイングに対し、エアバスはアフリカ諸国などせいぜい2~3機という途上国も丹念に回り、フランスの銀行も資金面でバックアップした。ヨーロッパからすれば三度目の正直で、世界に認められる旅客機がついに誕生したのである。
A320でついに逆転 崖っ縁から出たB787
A300が世界で認められると、エアバスは今度こそ真正面から勝負に出た。B737に対抗し、87年に150人乗りのA320を初飛行、思惑どおりシェアを伸ばすのだ。現在、世界で最も需要の高い旅客機はB747でも、話題のA380でもなく、この地味な小型機である。
同機は旅客機で初めてデジタル式のFBW(Fly By Wire)方式を採用。操縦が大幅に電子化されたことでコックピットからは操縦桿が姿を消し、サイドスティックといわれるレバーで操縦する。この時点でエアバスは世界市場制覇を大きく意識したといえ、後に登場するすべての機体の操縦性を統一している。航空会社にとっては、エアバスの異なる機種を複数採用しても、パイロットの柔軟な運用が可能なほか、メンテナンスでもメリットがあった。
エアバスの攻勢に対して、残ったシェアの奪い合いを避ける意味からも、ボーイングは97年にマクドネル・ダグラス(MD)を吸収合併する。だが、それまでMD機を使っていた航空会社の多くが、後継機にエアバスを選んでいる。そして2001年、ついに年間受注機数でエアバスがボーイングを上回るのである。