太平洋戦争「開戦の日」に考えてほしいこと 現代史は日本人が学ぶべき最重要科目である

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しかし、この報告を聞いた東條英機陸相は、「これはあくまでも机上の演習でありまして、実際の戦争というものは、君達が考えているようなものではない」と論評、戦争はやってみなければ勝利はどっちに転ぶかわからない、と研究会の報告を握りつぶした。その一方で、東条陸相は「この机上演習の経緯を、諸君は軽はずみに口外してはならぬ」と口止めすることは忘れなかった。

このシミュレーションの持つ意味の大きさは、十分に理解していたことがうかがわれる。すなわち、口が裂けても言えないが内心では日本が負けることはわかっていたのだ。過去の指導者の判断を論評するのは、歴史の結果を見てからなら誰でも言えるなどという批判は当たらない。それ以前の問題だ。

自己の面目ばかりを考える軍エリートと熱狂する国民

丸善日本橋店にて、丹羽宇一郎氏の選書も紹介している「日本橋ビジネススクール」フェアを12/10より開催します。ハイブリッド型総合書店hontoでも紹介予定です(撮影:編集部)

実際に戦争を遂行する軍部でも、国民を戦争へ駆り立てる一方で、次のような動きがあった。軍事ジャーナリストの田岡俊次氏によれば、開戦間近となった1941(昭和16)年10月、陸軍軍務局長から、内閣書記官長を通じて海軍の軍務局長に対し「海軍から日米戦を欲しないと表明してくれないか」という申し出があったという。しかし、海軍幹部は「海軍はずっとアメリカを仮想敵国として予算をいただいてきた。いまさらアメリカと戦わないとは言えません」と答えたという。

中国で戦争している陸軍にとって、アメリカまで相手にすれば、ますます戦況が不利になることは明白、とはいえいまさら非戦とは陸軍から言い出しにくいので海軍に頼んだ。だが、海軍は海軍で日露戦争以後アメリカを仮想敵国として予算を獲得してきた経緯がある。

このようなご都合主義の結果、300万人を大きく超える犠牲者を出すことになる戦争へと突入していったのである。

では一般の国民は、アメリカとの戦争に対してどのように考えていたのだろうか。緒戦で勝ったこともあり、日本人の多くは熱狂した。著名な作家たちが残した当時の日記などにもその気配が表れている。

中国文学者の竹内好は「支那事変に何か気まずい、うしろめたい気持ちがあったのも、今度は払拭された」と記した。アメリカとの戦争は、白人の第一級者に挑戦する戦いであるからわだかまりがない戦争という心境をつづっている。作家・文芸評論家の伊藤整は、「12月8日宣戦の大詔が下った日、日本国民の決意は一つに燃えた。爽やかな気持ちであった」と『太平洋戦争日記』の中で述べている。詩人高村光太郎の感想も、「世界は一新せられた。時代はたった今大きく区切られた」と随筆「十二月八日の記」にある。

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