山形新幹線は1992年7月、新幹線区間と在来線区間を行き来できる、日本初のミニ新幹線として産声を上げた。山形県の資料によると、東京―山形間の所要時間は最短で3時間4分から2時間27分に短縮され、福島での新幹線と在来線の乗り換えも解消した。
新幹線は在来線より線路の幅が広く、車体も大きいため、それまでの「フル規格」新幹線車両は、在来線に乗り入れられない。そこで、在来線に新幹線用のレールを敷き直す一方、在来線のホームやトンネルなどの施設に対応できる車両を開発した結果、「新在直通」の列車の運行が実現した。これがミニ新幹線だ。
ミニ新幹線構想はもともと、東北(盛岡以北)、北陸など「整備新幹線」5路線の着工が、財政難を理由に足踏みを続けた時代に生まれた。山之内秀一郎・元JR東日本会長の『新幹線がなかったら』(東京新聞出版局)などによると、同氏の着想を元に、旧国鉄でミニ新幹線の検討作業が始まったのは1983年。整備新幹線がカバーしない地域にも新幹線ネットワークの恩恵を及ぼすことが目的だった。検討を進めた結果、1987年に福島―山形間がモデル線区に指定され、1988年には工事が始まった。
「フル規格」求める沿線に衝撃
全国新幹線鉄道整備法は、新幹線について「主たる区間を列車が二百キロメートル毎時以上の高速度で走行できる幹線鉄道」と定義している。ミニ新幹線は、在来線区間の運用が通常の「特急」と変わらないため、厳密には「新幹線」とは呼べない。それでも、フル規格の整備新幹線の着工を求める地域は、先を越された形になり、微妙な衝撃が走った。さらに、思わぬ余波も生じた。
フル規格の整備新幹線の着工が難航する中、運輸省は1988年8月、東北(盛岡以北)、北陸、九州新幹線について、フル規格とミニ新幹線、さらに、在来線型の特急を新幹線規格の線路に走らせる「スーパー特急」を混在させた「暫定整備案」を公表した。そして、政府・与党申し合わせを経て、翌1989年に北陸新幹線が、1991年には東北(盛岡以北)、九州新幹線が着工した。
だが、沿線は「ウナギを頼んだら、アナゴやドジョウが出てきた」と猛反発し、全線フル規格への“昇格”を強く求め続けた。その結果、これまで開業した路線に関する限り、ミニ新幹線やスーパー特急が想定された区間はすべてフル規格となった。ただ、整備新幹線で最も早く列車が走った北陸新幹線・高崎―長野間(旧長野新幹線)でも、開業は山形新幹線より5年遅い1997年10月までずれ込むとともに、並行する信越本線は「しなの鉄道」として経営分離された。同年3月には、やはりミニ新幹線の秋田新幹線も開業したが、在来線もJR東日本の傘下にとどまり、2つのミニ新幹線は大きな存在感を見せつけた。
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