こうした成功を重ねても、高田社長は至って冷静だ。「いかにすばらしい商品だから作れといっても、売れなければ技術は継承されない。きれい事だけではダメだ」と話す。
加えて、「どの商品をつくるときも気持ちは同じでなければならない」と従業員に檄を飛ばすという。一連の商品が一時的なブームで終わることなく、愛され続けているのはこうした経営姿勢があるからなのだろう。
祖父の背中から経営を学ぶ
高田社長が経営者の手本としているのは、祖父の14代目当主・高田銀一だという。幼少の頃より、職人肌の父よりも祖父から「何のために商売するのか」など多くのことを学んだ。銀一は和菓子メーカーの暖簾(のれん)を守りながら、戦前にフランスのパリに渡るなど、新しい文化を取り入れる気概があった。銀一は、にぎやかなシャンゼリゼ通りでおしゃれな格好をした人々がケーキを食べている光景に感銘を受け、フランス人のライフスタイルを取り入れることを目指した。
戦時中は空襲で福山駅前の店と工場が全焼、5年ほど事業停止に追い込まれた。しかし、工場が地下にあったことが幸いし、戦後更地となった地面を掘り返したところ、顧客台帳や材料、道具、レシピが見つかった。その後、戦前に見たパリの光景のように豊かな日本を実現するため、1965年に洋菓子の製造に着手。こうした進取の精神が現当主に引き継がれているのだろう。
高田現社長は50代半ばだが、2020年に創業400年を迎えるにあたって息子に当主を譲ることを明言している。それも息子が自社ではなく他社に勤務していた7年前にはすでに決めていたというから驚きである。
いささか早すぎるのではないかとも考えられるが、消費者の価値観の多様化やSNS、ネット通販の発展など、時代が大きく変わったことが交代を決意した理由という。こうした変化に対応しながら会社の舵取りをするのは当然容易ではない。「ネット環境のど真ん中で育ってきた今の20代の考え方は、息子じゃないとわからない」と高田社長から本音が漏れる。
創業当時から続く伝統を守りながらも、時代の流れに対する柔軟な精神が、商売を長く続けられる秘訣なのだろう。
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