忙しすぎる日本人が知らない深く考え抜く力 たくさんの解き方を意識して重ねよう
私は「不便益」について研究している。字のごとく、「不便だからこそ得られる益」。「便利を無批判に追究したために失った益を再考しよう」という信念のもと、「素数ものさし」(目盛りが素数のみの定規)や「かすれるナビ」(通った道がかすれていくカーナビ)などを開発している。
「もっと便利に、もっと速く」という世の中の潮流に飲み込まれないためにも、私自身、目の前の現象を無批判に受け止めるのではなく、その裏に隠されたメッセージを見つけようと「思考」することを心掛けている。
それに、ビジネススキルとして思考の省略を促す「仕組み化」が推奨されているが、「考えなければいけない」という不便によって生まれる益こそこれからのAI時代に必要なスキルであり、その益こそが「考え抜く力の向上」だ。
「考える」と「深く考える」の決定的な差異とは?
「考えるのは苦手」という人も多いと思うが、われわれは「考える」こと自体は日々繰り返し行っている。
では、「考える」と「深く考える」には具体的にどのような違いがあるのだろうか? この違いには、単に「どれくらい時間をかけたのか」以上の差異があることを最初にお断りしたい。
私は、「考える」という営みは「recognition=認識」と解釈している。
つまり、「目の前のものは、すでに自分の中にある概念と同じだ」と認識・確認する作業が、一般に私たちがいつもしている「考える」作業のほとんどなのだ。
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