忙しすぎる日本人が知らない深く考え抜く力 たくさんの解き方を意識して重ねよう
では、彼らはどのように学習してきたのだろうか? その「学習プロセス」を考察してみると、次のような景色が浮かんでくる。
「この数式なら、この公式を暗記しておけば正解できる」という、正解に最短距離でたどり着こうとするたった1つの勉強法では、ユニークな解き方は決してできない。ユニークな解き方をする彼らは、「正解というゴールから逆算して、効率のよい1つの解き方」だけをスムーズに進んではいないということだ。
数学好きな人間はある種のフェチでもあり、過去の数学者のさまざまな解き方など、ありとあらゆる解き方に接し、勉強してきたケースは非常に多い。
つまり、ユニークな解き方をする人は、たくさんのユニーク・非ユニークな解き方に接してきている可能性が高いのだ。
「考え抜く力」が伸びるカラクリ
よって、たくさんの解き方という「多種多様な量」をこなし、多くのプロセスを経験した学生だけが、ユニークな解き方をなしうる確率が高いといえ、プロセスを重視した「量」が、いつしか「質」に転換するのがうかがえる。
ここで京都の寺の「人間は本物に出会わないと本物にならない」という言葉に立ち戻ると、その真意が見えてくる。
「本物に出会わないと本物にならない」というのは、「だから本物に最短で出会えるよう、本物の人かどうかまずは見極めよ」と「結果ありきで行動せよ」ということではない。
「本物に出会うまでに、あなたはいろいろな生き方をしている人と出会うはず。すばらしい人もいれば、面白い人もいる。うそつきもいれば、極悪人もいるだろう。じっくりその経験をすることで、あなたにとっての正しい生き方が見えてきて、あなたも本物に近づく」。つまり、結果ありきではなく、プロセスを大事にせよ、ということなのだ。
これはまさに、「本当に考え抜けるようになるには、プロセスを意識して、重ねよ」を言い当てている金言といえよう。
思考は「けもの道」に似ている。
最初は道なき道であっても、1度歩いた後のほうが少し歩きやすくなる。だからまたそこを歩くと、さらに踏み固められていく。この繰り返しで、道なき道は道になっていく。
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